Go to contents

ジャングルの中の俳句

Posted September. 01, 2021 08:51,   

Updated September. 01, 2021 08:51

한국어

「京にても京なつかしやほととぎす」。17世紀の俳人、松尾芭蕉の俳句だ。京に対する切ない思いを3行17字で構成する腕前は大したものだ。このような俳句が含まれた英語の小説がある。オーストラリアの作家、リチャード・フラナガンのブッカー賞受賞作『奥のほそ道』がそうだ。題名まで芭蕉の紀行文の名をつけた。

一見して日本の伝統文学に対する賛辞のようだが、そうでもない。小説は、第2次世界大戦中、ビルマのジャングルで「死の鉄道」の建設に動員されたオーストラリア人の戦争捕虜が直面した状況を描く。日本人の残酷さは想像を絶する。捕虜は殴られて死に、飢えて死に、病気になって死ぬ。ある将校は芭蕉の俳句を口ずさみ、言い換える。「満州にても満州なつかし首見れば」。人を見る時、自分の刃で切られる首から見るという日本軍人には背筋が寒くなる。 

 

小説に俳句が出てくる理由は明白だ。その美しさを狂気と対比させるためだ。軍人を狂気に追い込んだのは、当代の日本の「知識人、宗教指導者、芸術家、言論人、政治家が助長した理念」だ。一方には俳句を作り出した文化が、他方にはそれを汚す理念があった。悪質な日本軍人や彼らの手下は、その理念の犠牲者だった。作家が会った彼らは、自分たちの行動を懺悔し、罪の意識と羞恥心を抱く「人間」だった。戦争捕虜だった作家の父親は、その話を伝え聞き、悪夢のような過去をもはや記憶しなくなった。信じ難いが実際に記憶が消えた。許すまでではないが、彼らの人間性と懺悔の言葉で自由になったのだ。父親から悟りを得たのか、作家は日本軍の無慈悲な暴力を再現しながらも、人間に対する信頼を失わず、彼らを憎しみではなく人間的に見ようとする。寛容な目だ。