「自身の判断に責任を負わないなら、あなたは何でもない」(ナシム・ニコラス・タレブ『スキン・イン・ザ・ゲーム』)
過分な愛を受けて「鋼鉄部隊」が放送を終了した。「特殊部隊出身の自尊心対決」を見たと言う人もいれば、「試練に立ち向かう英雄の挑戦」を見たと言う人もいる。私は、鋼鉄部隊をリーダーシップに関する寓話と考えている。
陸軍特殊戦司令部のチームリーダーのパク・ジュンウは、鋼鉄部隊24人の中で最も完成された軍人だった。独歩的な経験とカリスマでチームを率いた。ミッション参加の機会をめぐってチーム内で対立が生じた時、彼は最初に機会を断念した。リーダーの勇断にチームは再び一つになった。海軍海難救助戦隊のチョン・ソンフン・チーム長は、本人がチーム内の最弱体ということを認めた。担わなければならない仲間の存在がかえってチーム員を強くさせたのだろうか。チョン・ソンフンのチームは皆の予想を破って決勝まで進出した。
よく見ていると、リーダーシップの力量は「判断を下さなければならない時」よりも「責任を負わなければならない時」にあらわれた。鋼鉄部隊はサバイバルなので、誤った判断に対して「脱落」という明確な責任が強いられる。現実はどうだろうか。ナシム・ニコラス・タレブは、「責任を負わない人々が意志決定権を有している社会」に対して警告した。判断を下した人が自分の失敗の犠牲になる可能性がないという責任の不均衡が社会に蔓延するということだ。責任を負うべき人が判断するようにし、判断した人が責任を負うようにする。この平凡な文章の前にリーダーは悚然(しょうぜん)とすることだろう。
鋼鉄部隊の最後、自らに問いかける。チョン・ソンフンのように限界を認められるか。パク・ジュンウのように機会を譲歩できるか。そして、その判断の責任を全て受け入れることができるか。リーダーの尊厳性は、自身の判断に責任を負うという覚悟において光る。