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話を聞いてくれる人

Posted April. 26, 2021 08:15,   

Updated April. 26, 2021 08:15

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「傾聴は癒しになり得る。…共同体は傾聴する集団だ」(ハン・ビョンチョル、『他者の追放』)

2018年1月、英国で世界初の孤独担当相が任命された。英国人の900万人が孤独に苦しんでいるという。孤独が1日に15本のタバコを吸うことと同じほど健康に有害だという統計と共に。同年、韓国でも孤独に関する世論調査があった。韓国リサーチが実施したこの調査で驚くべきことに回答者の26%がほぼ常に、またはしばしば孤独を感じると答え、常時的な孤独を訴えた。

孤独とは何か。ハンナ・アーレントは、「自我をなくした状態、私が誰なのかを分からない状態、私が誰なのかを教えてくれる人がいない状態」と規定する。分析は明快だが、個人的にはこの時代の私たちが感じる孤独の本質を説明できていないという気がした。そうした中、ハン・ビョンチョルの本を読み、ふと思った。私たちの時代の孤独とは、話を聞いてくれる人がいないことから生まれるのではないか。

個人化する世界で、苦しみは全て私有化される。特に、能力主義が支配する、各自が生きる道を切り開かなければならない世界で、苦しみは徹底して個人が耐えなければならない。「自分の人生は自分が責任を負う」という倫理を頭に叩き込み、自分の世界から他者を追放する。どの時代よりも忙しい生活を送っている私たちは、他者の話に耳を傾ける余裕がない。このような世界で最もすばらしい他者の美徳は、私に苦しみを訴えないことだ。

 

訴えることができない苦しみが積もれば孤独になる。各自の口の中に閉じ込められた苦しみの言葉は、私たちを病気にさせる。だからだろうか。今この世界では、私の話に耳を傾けてくれる人が存在するというだけで幸運だ。話を聞いてくれる人がいるという事実だけでも、私たちは癒される。そうだ。苦しみを分かち合うのが共同体なら、ハン・ビョンチョルが言うように「共同体は傾聴する集団」だ。