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物悲しげな「秋の音」の正体

Posted November. 23, 2020 09:29,   

Updated November. 23, 2020 09:29

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季節ごとに、その季節が出す音がある。秋には秋の音がある。葦原とススキ畑、飛び散る落葉が出す音もそうだが、特にキリギリスやバッタ、コオロギなどの虫が出す音は、妙なメロディーに乗って胸に染みる。これらの音はますます物悲しくなるが、晩秋には痛ましい感じまでする。どのようにしてこのような音を出すのか?よく言われるように、秋が過ぎ去ることを悲しむのだろうか?

私たちには確かにそう聞こえるが、悲しいからではない。いや、実際に悲しむことなどできない。雄が雌に自分の存在を知らせて交配をしようとする誘惑の声が、どうして悲しいのか。声帯がないのに、どのように音を出すのかという気もするが、必ずしも口だけで音を出せるのではない。口でなくてもいくらでも素敵な音を出すことができる。バッタは後ろ足で前の羽を摩擦し、キリギリスとコオロギは前の羽同士を摩擦させて音を出す。コオロギの羽を詳しく見れば、左右の羽の下面に少し荒い部分があるが、これをバイオリンを弾くように摩擦させて音を出す。だから「声楽」ではなく「演奏」であるわけだ。

もちろん音のみ出しては到底望めない。評価者である雌から「クール」と言われるほどでなければ選択を受けることができないので、最善を尽くして素晴らしい演奏の実力を誇らなければならない。しかし、世の中のことなんて本当に分からないことで、最善を尽くしたからといって、その分の報酬を受けることなどない。逆に最善を尽くすほど危険になることもある。どこでもそうであるように、チャンスは一人では来ず、リスクと一緒に来るからだ。素晴らしい演奏が捕食者の耳にも入る。だからといって、何もしなければ、自分の遺伝子を残すことができない。だから、彼らにとって最善とは、どうなるのかわからない生死の岐路で命をかける冒険といえる。

それなら、秋の終わりが近づくほど、ますます悲しく「泣く」理由は何だろうか?交配の相手が見つからなくてそうなのか?実は、増していく哀れは狙ったものではなく、仕方のないものだ。昆虫は変温動物なので、気温の影響を大きく受ける。天気が暖かくなれば、体温を簡単に上げることができるので大きくて素敵な音を出すことができるが、逆に気温が下がれば、体をきちんと動かすことができず、音を出すことが難しくなる。まだ任務を果たせなかった奴らは、残り少ない時間のため、力を尽くして音を出してみるが、固くなった体からしっかりとした音が出るだろうか?この厳しい音が私たちの耳には悲しそうに聞こえるのだ。

ますます物悲しくなる音は、このような理由からで、北から始まってだんだん南に降りるし、同じ地域でも日陰の場所よりも太陽の光があるところから出る音がより良い。だから、北米インディアンは、これらの音を「貧しい人々の温度計」と言ったとか。

最近のように天気が寒くなると、哀れな気までしていた音さえ消える。1年が過ぎ去るという意味だ。私たちには1年だが、虫たちには一生である。そういえば、本当に悲しくてやったのかもしれない。