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「義足スプリンター」は再び走ることができるだろうか

「義足スプリンター」は再び走ることができるだろうか

Posted November. 06, 2020 08:23,   

Updated November. 06, 2020 08:23

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オリンピックで使われる装具は、どこまで認められるのだろうか。

最近、スポーツ仲裁裁判所(CAS)は、「義足スプリンター」・ブレーク・リーパー(31・米国)の来年の東京オリンピックへの出場を認めなかった。彼は生まれた時から、両膝の下がなかった。リーパーは、生後9ヶ月から親が用意してくれた義足を履いた。幼い頃から父親と一緒にバスケットボール、野球など、さまざまなスポーツを楽しんだ。彼は、高校の時から本格的なランニングを開始した。当時の義足技術の発達のおかげだった。優れた運動神経を持った彼は、米パラリンピック陸上代表選手になり、2012年のロンドンパラリンピックで400メートルで銀メダルと200メートルで銅メダルを獲得した。

以来、彼はパラリンピックではなく、オリンピックで障害のない選手たちと競うことを目標に据えた。しかし、世界陸上連盟が、「義足を使わない他の選手たちと、公平な競技になりえない」という趣旨で、オリンピックと各種大会への出場を食い止めると、CASに提訴した。世界陸上連盟は、リーパーが使う義足は、パラリンピックに参加する選手たちの義足サイズの制限規定から外れると判断した。これによると、選手の等級に基づいて使える義足の最大サイズが決まっている。世界陸上連盟は、リーパーが使う義足は、この規定が認める最大値より15センチを超えたと主張する。この主張に基づいて、CASは、リーパーが障害なく生まれた場合に推定される身長より大きな身長を利用することになるので、障害のない選手たちと競争するときは相対的に有利だと見た。リーパーの400メートルの個人最高記録は44秒30で、障害のない選手たちの記録の中でも最上位圏である。

この判決に対して、リーパーは「人種差別」だと主張している。黒人の彼は現在、パラリンピックなどで使われている義足関連規定は、白人とアジア人の身体をもとにしたもので、黒人のプロポーションは考慮していないと主張する。世界陸上連盟は、リーパーの主張は陰謀だと反論している。

この判決は、二つのことを思い出させた。一つは、オリンピック出場の夢が挫折された彼の切なさである。他の一つは、これまで繰り広げられてきたオリンピック装具を巡る議論だ。

オリンピックでは、人間の能力ではなく、装具の性能が優先されてはならないという議論は続いてきた。これを反映した代表的事例が、1996年に国際サイクル連盟(UCI)が発表した「ルガーノ憲章」だ。これは当時、英国や米国などがオリンピックメダルを獲得するために、天文学的なお金をかけて「スーパーバイク」の制作に飛び込むと、過度の開発競争を防ぐために設けられた。この憲章は、オリンピックに出場できる自転車のフレームを伝統三角形の形に制限し、重量も6.8キロ以上に維持しなければならないと釘を刺した。特殊素材を使って、軽量でありながら空気力学を適用したあらゆる形の自転車が登場すると、ブレーキをかけたのだ。先端自転車を開発できない貧しい国が、機器競争で遅れを取って、結局オリンピックをあきらめてはならないからだ。国際水泳連盟(FINA)が、かつて世界を総なめした全身水着を禁止させたのも同じ流れだ。

しかし、様々な技術発展の結果をスポーツに導入しなければならないという反論も少なくない。今、文字通り「着る(wearable)」機器も出ている。後日、より大きな技術の発達で、いくつかの装具が人の体から離すことができない必要不可欠な要素になれば、あの時もその装具の試合での使用を禁止することができるだろうか。

このようなことは、スポーツ種目のアイデンティティや規制の細分化を予告している。学者たちは、このような傾向が続けば、装具を使用しない「自然人の競技」とウェアラブル機器を認める他の形態の競技へとスポーツが分化されるとみている。しかし、明快に分けることができない中間形態も明らかに存在するだろう。

リーパーに先立って、別の義足選手・オスカー・ピストリウス(34・南アフリカ)が、2012年のロンドン五輪に出場した前例がある。ピストリウスは、オリンピック出場が認められ、リーパーは認められなかった。結果は相反したが、義足選手たちの五輪進出の試みが続いていることは明らかだ。

たとえ、リーパーの東京オリンピック出場を認めなかったものの、CASが世界陸上連盟に向けても、「障害のある選手が他の選手たちと一緒に競うことができる明確な規定と環境を作らなければならない」と指摘した点は、だから注目しなければならない。技術の進歩とともに、障害者と健常者が一緒に競争する日が近づいていることが時代の流れである。


李元洪 bluesky@donga.com