Go to contents

小説の味わい

Posted October. 19, 2020 07:51,   

Updated October. 19, 2020 07:51

한국어

彼は死についてしばしば考えた。天国は皆が会う所。生前に知っていた人だけでなく、知らなかった人まで。死後の世界を信じない人だけ、そこにはいない、お母さんが言っていた。─ジェームズ・ソルター『オール・ザット・イズ』から―

真夏を小説のシーズンと見るのが出版界の慣行だが、小説をフィクション以上のものと考える私にとって小説がより切なくなるのは、今のように季節がうら寂しい時だ。思う存分気を緩める季節を後にし、寒くて漠然とした思いになる季節。90歳で死去した米国の作家ジェームズ・ソルターの遺作に出てくるこの文がこの季節の慰めになるのは、過ぎし日々を思う存分吹き飛ばすこともできず、将来の漠然さが消えない一人生がこのまま終わりではないという期待を与えるからだ。

「オール・ザット・イズ」は一人の男性、フィリップ・ボーマンの一代記だ。母子家庭、第2次世界大戦、大学卒業、就職、一度の結婚、一度の離婚、何度かの恋愛、裏切り、母親との別れ、適度な成功の後に迎える老年。これというクライマックスがなかった作家自身の人生に似たこの小説は、しかし人生を憐憫も虚勢もなくスケッチし、いつしか老人になった主人公が長距離の旅を決心することで終わる。

人生半ばを過ぎた私は昨年、長年の被雇用生活を終え、自分の出版社を設立した。「出版」といえば、考えられる場合の数から脱しない人生が展開するだろう。冒険よりも思い出を大切にすることになるだろう。歳月と共に別れも迎えるだろう。しかし、このようなあきらめと不安が押し寄せるほど、私は作家が老年に書いた、信じる人には別の世界が存在するという言葉が呪術のように頭に浮かぶ。信じるということはまだ体験していないということであり、体験していないということは可能性が残っているということだ。この可能性で別の人生を期待し、今を耐えること、やはり小説はうら寂しい時に味わい深い。