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李承晩と呂運亨

Posted July. 19, 2017 09:45,   

Updated July. 19, 2017 09:52

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解放政局で互いを民族反逆者と呼ぶほど激しく対立したのは韓民党と共産党だ。解放政局の政治勢力を右派から左派まで一つのスペクトルで見るなら、韓民党と李承晩(イ・スンマン)と金九(キム・グ)、金奎植(キム・ギュシク)と安在鴻(アン・ジェホン)、呂運亨(ヨ・ウンヒョン)、朴憲永(パク・ヒョンヨン)と金日成(キム・イルソン)の順になる。韓民党と李承晩と金九は右派、金奎植と安在鴻は中道右派、呂運亨は中道左派、朴憲永と金日成を左派に分類できる。

◆朴憲永と金日成は同じ共産党員だったので強力なライバルでもあった。元々は朴憲永が掌握したソウルの共産党が「党中央」で、金日成が掌握したのがその傘下の「北朝鮮分局」だった。金日成は北朝鮮分局の主導権を掌握した後、別の政治勢力と統一戦線機構を樹立し、臨時人民委員会と呼んだ。しかし、南朝鮮の統一戦線は左右合作を米軍政庁が支援しており、人民党の呂運亨が浮上するしかなく、朴憲永は疎外されることを恐れた。金日成は、左右合作に積極的な呂運亨を好んだ。最終的に北朝鮮で朴憲永は粛清され、呂運亨の子供たちは優遇された。

◆李承晩は遅れて帰国し、韓民党に依存しないために独立促成中央協議会を作り、勢力の構築に乗り出した。李承晩は左右合作に最も否定的で、呂運亨、金奎植など中道を押して左右合作を支援したジョン・ホッジ軍政長官と対立した。米軍政の左右合作支援は1947年、ギリシャの共産化の脅威を受けてトルーマン・ドクトリンが発表され、本格的な冷戦が始まって死滅した。

◆解放政局で宋鎮禹(ソン・ジンウ)、呂運亨、金九が順に暗殺された。ブルース・カミングスは、韓民党の策士、宋鎮禹の暗殺を金九側の犯行と見ている。呂運亨暗殺は右派側の犯行という説もあり、朴憲永側の犯行という主張もある。金九暗殺は、李承晩側の犯行という説がある。呂運亨がソウル恵化洞(ヘファドン)ロータリーで白昼に襲撃された日が70年前の今日だ。韓国の単独政府の初代大統領になった李承晩が独裁の末に追い出さてハワイに亡命した後、寂しく死去した日も52年前の今日だ。今もあの激動が感じられるような時代の人物たちだ。