
当時、彼は日本プロ野球で最も人気のある選手の一人だった。イケメンで実力も備え、高額収入で、性格まで愉快だった。彼は2011年にソフトバンクで2億4000万円(約24億7000万ウォン)の年俸を受け取った。「夢」と「挑戦」を求めて、何も保障されないまま米国行きを選んだ。
そして1年、また1年が経って2017年を迎えた。最近、川崎宗則(35・写真)はシカゴ・カブスともう一度マイナー契約をした。6年連続のマイナー契約だ。30代半ばに招請選手として参加し、20代の若い選手たちと激しい競争をしなければならない。
一時はイケメンだった彼も年月の流れに逆らうことはできなかった。髪の毛も薄くなり、顔にはしわも増えた。
2012年から昨年まで、彼は一度も主力としてプレーしたことがない。主にマイナーリーグにいた。たまにバックアップ選手でメジャーに昇格されただけだ。2013年にトロントで96試合に出たのが最多出場だ。昨年はカブスで16試合出場に終わった。メジャーリーグ通算成績は、276試合出場、打率.237、1本塁打、51打点、12盗塁だ。
しかし彼はメジャーリーグファンの間で「愉快のアイコン」として通じる。英語は上手ではないが、どのチームに行ってもみんなと良く交わる。下手な英語で答える率直なインタビューに、ファンは熱狂した。2015年にはメジャーリーグの公式動画サイト「CUT4」が「ファンとリーグを最も沸かせた選手」に選ばれた。
カブスは昨年「ヤギの呪い」を破って108年ぶりにワールドシリーズ優勝を果たした。川崎はポストシーズンのエントリーには含まれなかった。だが「ムードメーカー」の役目を務めてほしいと頼まれて選手団に帯同し、結局シリーズ最終戦まで同行し、ワールドシリーズ制覇を目の前で見届けた。チャンピオンリングは与えられなかった。
当時、彼は「嬉しいけど、一方では選手としてグラウンドに出るチャンスがなかったので悔しかった」と話した。多くの人が彼の日本プロ野球復帰を予想した。実際、いくつかの日本チームが積極的にオファーした。しかし彼の選択は、今度もメジャーリーグでの成功に向けた「挑戦」だった。揺るぐことのない挑戦意志に日本と米国のファンは惜しまないエールを送っている。
川崎は韓国選手とも太いつながりを持っている。李承燁(イ・スンヨプ=41、三星)が日本で活躍するとき、遠くから李承燁を見つけて駆けつけては「スンチャン(日本での愛称)」と呼んで頭を下げた。2010年末には、ソフトバンクでプレーしていた李杋浩(イ・ボムホ=36、KIA)の結婚式に参加するために韓国を訪問した。同年、李杋浩が主に2軍にいたことを考えると、随分気前の良い気遣いだった。
なんとなくエールを送りたくなる選手がいる。多くのファンにとって川崎は、そういう存在なのだ。
李憲宰 uni@donga.com