5・16軍事クーデターが起きてから3年後、ソウル南大門(ナムデムン)と旧中央庁との間の緑地帯に、人間の背丈ほどの石膏像37体が立ち並んだ。38歳の金鍾泌(キム・ジョンピル)民主共和党議長が称えるに値する愛国先賢たちだと主張して、自分で選んだ偉人たちだった。高句麗の乙支文德(ウルジムンドク)将軍から金九(キム・グ)大韓民国臨時政府主席までが含まれた。しかし、ソウル大学や梨花(イファ)女子大学、弘益(ホンイク)大学、徐羅伐(ソラボル)芸術大学の学生たちが作った習作水準の石膏像は、2か月後には雨風に打たれて色あせしたり、破損されて醜いものになってしまった。撤去すべきだという世論が煮えたぎり、結局消えてしまった。
◆石膏像に含まれていた李舜臣(イ・スンシン)将軍は、それから4年後の1968年、ソウル世鐘路(セジョンノ)の交差点に高さ18メートルの銅像として再び登場した。「愛国先烈祖先建立委員長」を務めた金鍾泌議長が先頭に立ち、建立資金は朴正煕(パク・ジョンヒ)大統領が払った。「日本が最も怖がる人物」を選ぶように指示した大統領の指針が、選定基準だったが、祖国近代化に全国民がまい進することを願う政権の狙いも溶け込まれていた。銅像が握った刀の位置や鎧の形などが、歴史的事実に反するという議論は今も後を絶たない。
◆金鍾泌元首相は、光化門(クァンファムン)広場にある世宗(セジョン)王座像の後ろに、李承晩(イ・スンマン)、朴正煕大統領の銅像を建てるべき時だと主張している。三星(サムスン)の李秉喆(イ・ビョンチョル)会長や現代(ヒョンデ)の鄭周永(チョン・ジュヨン)会長の銅像も追加すれば、建国や近代化偉人たちを合わせることができるという。一昨日、「朴正煕大統領誕生100周年記念事業推進委員会」が発足して、光化門広場に朴正煕大統領の銅像を建てる運動に乗り出した。誕生100周年であり、現代史を前向きに記した国定歴史教科書が普及される2017年を、「朴正煕ブーム」の起点にしようとする狙いがうかがえる。
◆推進委員長である鄭烘原(チョン・ホンウォン)元首相は、「朴正煕大統領を称える銅像一つ堂々と建てられない現実は、今や克服されるべきだ」と話した。朴元大統領は、経済成長の功に劣らぬほど、長期独裁という過ちもはっきりしている。「朴正煕2.0」である朴槿恵(パク・クンヘ)大統領が「チェ・スンシルゲート」を産んで、下野要求まで出ているのは、父親の再評価にとって大きな負担となっている。朴大統領の失敗が朴正煕銅像反対世論を煽る状況は、皮肉と言わざるを得ない。
異鎭(イ・ジン)論説委員 leej@donga.com






