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麻薬の国コロンビア、サッカーは唯一の非常口

麻薬の国コロンビア、サッカーは唯一の非常口

Posted January. 07, 2014 06:15,   

昨年夏、20時間の長時間飛行の末に到着したコロンビア・ボゴタの街はざわついていた。カラーフルに体を飾ってドラムを叩きながら人群れの人々がどこかへ向かっていた。ボゴタを本拠にして成長したプロサッカー・ミリオナリオスとメデジンを本拠地とするナシオナルが対戦する日の夕方、街は人出で溢れかえっていた。「エルカンピン」競技場に入れなかったファンたちは、場外で熱い応援合戦で盛り上がった。450グラムのボールはコロンビア全国を震撼させた。喚声と歓喜に満ち溢れた競技場の中と外の熱気は、そのまま放送で伝えられた。ファンたちは、選手と一体になって競技場の中と外を掌握する。試合終了後に勝ったチームのサポーターの盛り上がりと、負けたチームのサポーターたちの沈黙が街中を埋め尽くす。サッカーボール一つが英雄を生んだり、不運の主人公を作ることもあった

コロンビアのサッカーというと多くの人は、オウンゴールで殺害された選手のことを思い浮かべる。1994年の米国W杯は、W杯史上最悪のペレの呪いとして記憶されるべき大会だった。ペレは、南米予選の最終戦でアルゼンチンを5−0で下したコロンビアを優勝候補に挙げた。だが、米国と対戦した本大会であっけないオウンゴールで負け、その結果、オウンゴールを入れた選手は帰国後に殺害された。

墜落するものには翼がある。一時、コロンビアのサッカーは南米一に位置づけられた。近代サッカーの先駆けと言われるアルゼンチン出身のアルフレッド・ディステファノとアドルフォ ペデルネラのようなスター選手がコロンビアのプロチームに入団した。1950年代序盤、サッカーの新しい歴史はコロンビアで作られた。

1990年代には、フランシスコ・マツラナ監督の下で世界的な選手たちが輩出された。世紀に残る南米選手に選定された伝説的なMFバルデラマ、1990年代の最高のFWでコロンビアサッカー史上最も優秀な5人の一人に選べれたアスプリージャ、そしてサッカー史上最も話題を呼んだ場面の一つである「スコルピオンキック」を演じたGKイギータなど。こうした選手たちの登場でコロンビアは1990年、1994年、そして1998年のW杯の本大会出場を決め、跳びぬけた技術に次ぐ精細に富んだゴールを披露し、世界のサッカーファンを虜にした。

植民奴隷制に根を張って発展したコロンビア社会の人種秩序の中で、黒人は白人への服従を強制され、偏見の対象だった。だが唯一サッカー競技場では黒人が喝采を受けるヒーローになることができた。サッカーは破れることのなかった人種間、階級間の頑丈な壁も一瞬にして崩してしまう。サッカーは、生を支配する宗教も同然だ。黒人が居住する地域における勝利への念願は、呪術に近い。勝利も敗北も、みな神の意である。

コロンビアは、地域間の個性が大変強烈だ。とくにメデジンとカリのライバル関係は、サッカーを通して表面化される。両地域は、コロンビアの最大の麻薬カルテルが運営されているところだ。メデジンを本拠地にして成長したナシオナルは世界10大富豪で知られる麻薬王エスコバルの資金で維持された。1970年代、世界麻薬市場の中核人物として登場したエスコバルは、イメージ管理のため貧民のための多様な支援事業を手がけた。その中でも力を入れたのはサッカー競技場の建設だった。貧しい家庭の子どもたちにとってサッカーは、苦しい今を忘れ、明日に向かって走らせる力の源泉となった。サッカーは、現実から逃れる脱出口で、未来へ導く鍵でもあった。

エスコバルが暗殺、拉致、爆破などの罪に問われて投獄されたときは、プロサッカー選手たちの訪問が絶えなかった。服役中にも、彼は個人の運動場を作ってサッカー試合を楽しんだ。エスコバルとライバル関係にあったカリ・カルテルのロドリゲス兄弟もプロサッカーに莫大な資金を提供した。カリのアメリカはロドリゲスファミリの資金で成長した。その過程で、サッカーと麻薬資金の切っても切れない関係が作られた。ナシオナルとアメリカを通じて世界的な選手たちが輩出され、同時に漁チームはコロンビアサッカーを支える両大山脈に発展した。

コロンビアは16年ぶりにW杯本大会に出場する。コロンビアは優勝候補に挙げられたときは振るわなかったが、敗北が予想されたときは期待を裏切る成績を出して驚きを与えた。今年夏、ブラジルで、畳んでいた翼を広げて飛び上がり、「墜落するものは、より高く飛べる翼がある」ことを見せ付けることを期待する。