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[オピニオン]公式に廃止された家族計画

Posted January. 17, 2013 03:24,   

06年に公開した映画「豊かに暮らそう」は、1970年代の家族計画を素材にしたコメディー映画だ。全国一の出生率を誇るヨンドゥリ村を舞台に、「出生率ゼロ」に挑戦する保健所や女性家族計画要員(キム・ジョンウン扮)が登場する。村人たちは、コンドームと風船とを見分けることすらできない。パイプカット手術を受けていた町長のビョン・ソクグ(イ・ボムス)が医師に対し、「ちゃんと効くんだよねぇ?」と尋ねる。あれほど避妊に無知だった村人たちは、40数年前の韓国人の姿であり、女性の家族計画専従要員も、実在した公務員だ。保健社会部が1963年から、各保健所に派遣した家族計画専従職員がモデルとなっている。

◆貧困に苦しんだ1960年代は、「58年生まれの戌年」など、爆発的に増えつつある「口」が大きな心配事だった。1960年の人口増加率は3%、1世帯当たりの平均子供数は6.3人もある。戦後の「ベビーブーム」(1955〜1963年)を落ち着かせたのは、1961年の5.15軍事クーデターで政権の座についた朴正熙(バク・ジョンヒ)政府だった。「豊かに暮らそう」というスローガンを打ち出し、1962年から強力な人口抑制政策を展開し始めた。経済開発5ヵ年計画にも、人口増加率目標を盛り込んだ。3人だけ産もうという言葉が出始め、「計画無しに産んでばかりいては、貧乏から脱せない」という標語も、このごろ登場した。

◆1970年代は、「娘も息子も区別せず、二人だけ産んで元気に育てよう」、1980年代は、「一人産んでも全国は超満員」という標語が、街中や公衆トイレにあふれた。1977年のマンション入居のための申し込みに、不妊手術者を優遇することを決めると、50代や60代の男性までパイプカットを受けようと、保健所に駆けつけた。予備軍訓練場では、パイプカットを受ければ訓練から外してもらえ、企業各社が輸入する避妊薬には、関税も掛けられなかった。ついに、1988年、人口増加率が1%に下がった。政府は1994年、産児制限政策を廃止した。

◆政府は15日の閣議で、保健所の家族計画業務(住民向け産児制限や避妊教育など)を削除する内容の「農村漁村などの保健医療のための特別措置法」施行令の改正案を議決した。00年代半ば、形骸化していた家族計画業務を公に廃止したのだ。政府は1983年に合計出生率が2.1人以下へと下がったのに、1990年代半ばまで、出産抑制政策を固守し、政策転換の時期を逸した。いまや、世界で最も早いテンポで老いてゆく国となった。1960年代、「3・3・35」(3人の子供を3年置きに35歳まで産もう)スローガンは、「1・2・35」(結婚後1年内に妊娠し、2人の子供を35歳前まで産もう)に変えた。働き盛りの若者が減り、福祉に頼る高齢者が増えれば、国の財政は瞬く間に底を突くだろう。「再び豊かに暮らしましょう」というスローガンを打ち出した朴槿惠(バク・グンヘ)政府が解決しなければならない大きな課題だ。

朴湧(パク・ヨン)論説委員 parky@donga.com