Go to contents

我が子を見殺しにさせられるソマリアの母親たち、狂いそうな思いはトラウマに

我が子を見殺しにさせられるソマリアの母親たち、狂いそうな思いはトラウマに

Posted August. 13, 2011 21:07,   

二人の子供のうち一人しか救えない選択を迫られた母親。誰でも、一人のわが子を見殺しにせざるを得ない状況に置かれたとき、母親は自分の人生までも諦めてしまう。自分の肉を切り取るような選択を迫られた母親の気持ちを表せる言葉は、この世の中にはない。言葉では言い表せない過酷な選択を強要される母親たちがいる。

ソマリアに住んでいたワルド・モハメド・ユスフさん(29)は、生後1歳の娘をおんぶして片手では4歳の長男の手を握ってケニアへ向かった。アフリカ東部を襲った60年ぶりの干ばつで、村は死者が続出した。何もしないで死んでしまうものなら、国連が提供したキャンプがあるというケニアへ命がけででも行くしかないと決心した。

砂埃が立つ砂漠を2週も歩き続けた。なんとか着いて来てくれた息子が、とうとう燃えるような太陽の下で倒れた。残り少ない水を息子の顔にかけてみたが、何の反応もしなかった。一緒に避難していた他の家族に助けを求めたが、それぞれの生存が脅かされている状況下で、快く助けの手を差し伸べる人は誰もいなかった。

29歳のユスフさんは、結局、どの親も耐えることのできない決定を迫られていた。

「結局は、息子を神の意に任せて、道に放ったまま先を急ぐしなかったです。毎日、あの子のことを思いながら、苦しい思いで夜を過ごしていますが、あの子が死んだとは決して考えていません。あの子とおない年の子供たちを見ると胸が張り裂けます」

ユスフさんは、ケニア・ダダーブの難民村でAP通信記者に、自分の気持ちをこう吐き出した。

避難する途中に子供の制止を分ける選択を押し付けられる地獄の経験は、ユスフさんに限った話ではない。この難民村に滞在している29歳のパドマ・サコウ・アブドルラヒさんも同じことを経験した。

早くに夫を亡くしたアブドォラヒさんは、飢饉に絶えかねて5歳、4歳、3歳、2歳の子供と赤ん坊を抱えてダダーブへ向かった。だが、難民村にたどり着く前日に二人の子供を亡くした。眠っているとばかり思っていた5歳の息子と4歳の娘が、いくら起こしても目を覚ますことはなかった。少量の水が残っていたが、赤ん坊をはじめ他の3人の子供たちのことを考えると、そこで使うわけにもいかなかった。

結局、二人の子供を木陰に移しては、また歩き始めた。もしかして子供たちが起きているかもしれないと思って、いくらも進めずに途中から引き返すことを何度も繰り返した。他の3人の子供たちでも温存させるために、涙を飲み込んでそこを後にする他なかった。

選択の瞬間は母親だけに強要されたのではない。難民村でAP記者が取材した農民出身のアフメド・ジャパ・ヌルさん(50)も似たような経験をしている。

14歳の息子と13歳の娘と一緒にケニヤへの避難に向かったヌルさんは、旅立って2日目に水が切れた。3日目の日、二人の子供はこれ以上歩けなかった。一緒に行くことも、引き返すこともできない状況。だからといって迷ってばかりでは3人の子供まで亡くしてしまいかねない。ヌルさんは、故郷に残っている5人の子供と妻のことを思い浮かべて決心した。

「あの人たちを運命に任せること以外に、自分にできることは何もなかったです。自分の一部でもある子供たちを諦めようとしたときは、本当に心臓が千切れるような苦痛でした」

ヌルさんは、難民村に到着してからも、家族の顔がちたついて苦しい思いをした。だがヌルさんと子供たちに運命の女神は微笑を見せてくれた。残してきた二人の子供は、奇跡的に遊牧民に救われて、ソマリアの母親の下へ戻ることができた。ヌルさんにも3ヵ月後に消息が伝わった。

6人の子供を連れて難民村に向かったパクィド・ヌル・エルミさんは、3歳の息子が飢饉と水分不足で苦しんだ挙句、命を落としたとき、母親として、してあげられる唯一のことは子供の遺体の上に乾いた木の枝を覆ってあげ、ひたすら泣くことしかなかったと振り返った。

「残り5人の子供を救わなければならないということしか頭になかったところへ、死んだ息子のためのお墓を掘る力が残っているはずもない。私に息子を授けた神様が、あの子を連れ帰っただけだ」と淡々と話した。

ダダーブ難民村で活動している国際救護委員会所属の精神科医師のジョン・キベレングさんはソマリアの親たちは極端の圧迫感に晒されていると話した。

「何もしないでみんなで死を待つわけにはいきません。そんな非正常的な状況下では、誰かを選択することは自然なことです。しかし、1ヵ月ほどが経つと、親たちはトラウマ障害に悩まされます。取り残してきた子供の幻影が現れ、朝晩を問わず悪夢に苦しめられるのです」

AP通信が12日に配信したダダーブ難民村の悲劇は、今地球村の至る所で起きている痛ましい出来事の一部に過ぎない。激しい干ばつで、今もソマリアをはじめ東アフリカ地域では1200万の住民が飢饉に喘いでいる。飢饉被害地域に指定され、直ちに緊急の救護の手を必要とする人だけで280万人に上る。このうちソマリア住民は45万人。

米国の統計によると、ここ3ヵ月間に死亡した5歳以下のソマリア子供は少なくとも2万9000人の上るという。他の家族のための食べ物や水を節約しようと道端に捨てられて歩けなくなった子供の数は数え切れないほどだ。

アフリカで親たちが断腸の選択を押し付けられる理由は、何も干ばつだけのためではない。09年に下痢症状で生後18ヵ月の双子の息子のうち、一人を選ばなければならなかったザンビアの親の話が、ある国際救護団体によって知らされた。保険所には1人分の薬しかなかったため、親は結局状態が少し増しな弟を選んだ。治療を受けられなかった兄は死んだ。こうして治療が受けられなくて亡くなる5歳未満の子供は、アフリカだけで450万人の上ると推算されている。

生死を分ける緊急な瞬間に、一人の子供だけを選ばなければならない親の痛みは、たまたま映画の題材にもなっている。ナチス収容所でガス室に送る息子を選らばなればならなかったし、気が狂いそうな苦痛に苛まれた挙句には自殺してしまう親を描いた映画「ソフィーの選択」(1982年)が代表的だ。

昨年も、地震で倒れ落ちた柱に下敷きになった二人の息子のうち一人だけを選ばなければならなかった母親の心境を描いた映画「堂山大地震」が中国と韓国で公開され、数千万の涙腺を刺激した。

現実の中で、そのような過酷な悲劇は、カメラもペンもない、あまたの所で起きている。そして、それは遠いアフリカに限った話ではない。脱北者たちの手記にも、同じような悲劇は数えられないほど登場する。幼い子供の手を握って渦巻きながら流れる豆満江(トゥマンガン)を渡る途中、娘の手を放してしまった母親。息子まで失うことを恐れて「助けて」を叫ぶ娘をただ見届けるしかなかった母親は、挙句の果てには狂ってしまった。

辛うじて二人の娘を連れて中国へ脱出したものの、娘の一人を売らないと通報すると脅されて、どっちを手放すかを決めなければならなかった母親も多い。人類が悲劇の主人公になった地球の至る所で、母親たちの母性愛だけでも守ってあげたいのだが…。



zsh75@donga.com