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[オピニオン]派閥解体論

Posted July. 07, 2011 07:51,   

1976年、日本の田中角栄元首相はロッキード収賄事件で逮捕され自民党を離党したが、田中派の水面下の影響力は続いた。79年に発足した大平正芳内閣は「角影内閣」と呼ばれたほどだ。豊富な資金力は、派閥隆盛の滋養分だった。80年代末からは多少、派閥政治の影響力は弱まったが、まだ様々な形で派閥が残っている。日本の派閥政治を政経癒着の根源だと非難する意見もあるが、自民党内の派閥同士の激しい争いが長期政権を可能にした原動力であったという見方もある。

◆金泳三(キム・ヨンサム)元大統領は、大統領選挙を管理する最後の首相に全羅道(チョンラド)出身の高建(コ・ゴン)元ソウル市長を抜擢した。金元大統領は、私的な席でたびたび高首相の父親の高亨坤(コ・ヒョンゴン)元全北(チョンブク)大学総長との政治的な関係を話した。63年、野党の民政党議員として政界入りした高元総長は、金元大統領と同じ民主党旧派に所属した。金元大統領の政治ライバルだった金大中(キム・デジュン)元大統領は民主党新派だった。韓国政治で上道洞(サンドドン)系(金泳三元大統領)と東橋洞(トンギョドン)系(金大中元大統領)は、民主化闘争期を経て、最も長く生き残った派閥だろう。

◆7・4全党大会で、ハンナラ党の勢力地図が完全に逆転した。親朴(朴槿恵)派は主流になり、親李(李明博)派は没落に近い敗北を味わった。これまで親李派の独走の中、親朴派が隊列を維持できた背景には、朴槿恵(パク・グンヘ)元代表の影響が大きく作用した。慶尚道(キョンサンド)では、金や組織がなくても、朴元代表と撮った写真を持って選挙をした人が多かった。ある親朴派議員は、「慶尚道では朴槿恵マーケティングが10年以上続くだろう」と断言した。

◆ハンナラ党の洪準杓(ホン・ジュンピョ)代表が、当選のあいさつで派閥解体を宣言し、党がざわついている。鄭夢準(チョン・モンジュン)元代表は、「脅したり、力で解決する問題ではない」と異議を唱えた。派閥解体論の理想はもっともらしいが、現実的に可能かどうかについては、多くの人が懐疑的だ。いまや朴槿恵天下になったようなハンナラ党で、別の派閥は存在感を出せるだろうか。ある元老政治家は、「政治は代掻き」と言った。派閥の離合集散を「代掻き」、田を耕すことにたとえたのだ。派閥は政治の宿命かも知れない。

鄭然旭(チョン・ヨンウク)論説委員 jyw11@donga.com