「フィギュア・クィーン」金妍兒(キム・ヨナ)は2月、バンクーバー冬季五輪で史上最も美しい演技を披露した。フリースケートを終えた彼女は、感激のあまり熱い涙を流した。この場面を見た多くの国民が一緒に泣いた。
16日、もう1人のスポーツスターが涙を見せた。北朝鮮サッカー代表チームのストライカー・鄭大世(チョン・デセ、26、川崎)は、ブラジルとのサッカーワールドカップ(W杯)南アフリカ共和国大会グループリーグ初試合で、試合が始まる前から涙を流した。彼は目に涙を溜め、競技場に入り、国歌が演奏された時には、滝のように涙を流した。世界中の人々の視線が、そこに止まったのは言うまでもない。
鄭大世は、韓国の製薬会社のテレビコマーシャルに出演するほど、もう韓国人にも顔なじみだ。彼が北朝鮮の国歌を聞きながら涙を流す姿は、韓国人に複雑な感情を感じさせたが、とにかく同日最大の話題は「鄭大世の涙」だった。
16日、国際サッカー連盟(FIFA)のホームページのメイン画面を飾ったのも、彼の涙だった。実際、北朝鮮とブラジルの試合は、始まる前から注目されていた。FIFAランキング1位のブラジル対今大会出場32カ国のうち最下位の北朝鮮(105位)との試合である上、「ベールに包まれているチーム」北朝鮮の初試合だったためだ。試合はブラジルが2対1の勝利で終わったが、関心はもっぱら北朝鮮に集まっていた。
北朝鮮は、カルロス・ドゥンガ・ブラジル代表チーム監督が、「スペースを与えない守備は完璧に近かった」と評価するほど、終始ブラジルを困らせた。ユーロスポート、ゴールドッドコムなど、海外マスコミはブラジルより北朝鮮選手により高い評点をつけた。ユーロスポートは、最優秀選手に当たる「マン・オブ・ザ・マッチ」にブラジル選手ではなく、北朝鮮の鄭大世を選んだ。
鄭大世は同日、断然目立った。ドイツ記者は、「鄭大世のような体格とパワフルな試合運営は、ドイツ・ブンデスリーガによく似合う。W杯後、移籍の話が出てもおかしくないようだ」と話した。鄭大世は、同日見せた涙と攻撃力でなくても、スターとしての資質を十分備えている。
彼は試合後、ブラジル記者らと流暢なポルトガル語でインタビューを行った。日本で生まれ、日本のプロ舞台で活躍中の彼は、英語も上手である。韓国語まで含めると、4カ国語ができる。
彼は外部とのコミュニケーションも楽しむ。7日、ナイジェリアとの評価試合(1対3敗北)を終えた後、キム・ジョンフン北朝鮮監督をはじめ、選手のほとんどは韓国記者の質問を避け、急いで競技場を離れた。しかし、鄭大世は、「韓国の速いFWらが一対一のパスで攻略すれば、ナイジェリアDF陣を簡単に動揺させることができるだろう」と、攻め方について詳しくアドバイスした。自分の日本語のブログには、W杯期間中に起きた出来事を紹介し、新世代スターらしい面貌を見せている。
鄭大世が注目されるもう一つの理由は、韓国の現代史をそのまま見せている彼の履歴のためだ。在日韓国人3世として日本で生まれた彼は、韓国人の父親の国籍を受け継ぎ、韓国国籍である。彼の母親は北朝鮮国籍だが、姉と兄はみんな韓国国籍である。彼の兄のチョン・イセは、韓国の実業チーム忠州(チュンジュ)ハムメルのGKとしてプレーしている。
しかし、彼は子どもの時から、朝鮮総連系の学校に通いながら自然に「私の祖国は北朝鮮」という考えを持つようになった。彼はサッカーを始めてから北朝鮮代表の夢を育ててきたが、自分の国籍のために不可能であることを知った。韓国は二重国籍を認めないため、北朝鮮代表としてプレーするには韓国国籍を諦めればよいのだが、韓国政府が北朝鮮を正式の国家として認めていないため、放棄申請も不可能だった。彼は、FIFAに自分の出生背景や韓国と北朝鮮の歴史的な背景を説明した自筆の請願書を送り、FIFAはこれを受け入れた。結局、彼は07年7月、北朝鮮代表になった。
鄭大世はブラジルとの試合が終了後、グラウンドに横になり、再び涙を流した。ブラジルに勝てず、ゴールを決められなかったという残念な気持ちのためだった。彼は試合前に流した涙については、「W杯に出場して世界最強のチームと戦えることが、嬉しく泣いた」と答えた。日本で生まれ育った韓国国籍の北朝鮮サッカー代表の鄭大世。大衆の関心を受けるのがスターだとしたら、彼は確かにスターである。韓国人には格別である彼のこれからの歩みはさらに関心を引く。
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