「突然、爆音とともに四方から銃弾が飛んできた。銃弾が音をたて、窓を割って薄い壁に穴を空けた。機関銃の集中射撃で、テーブルの上にあったコーヒーポットが吹き飛んだ。手榴弾が私が寝ていた木のベッドの上で破裂した」。宿所として使っていた教室で北朝鮮軍の十字砲火を受け、床に伏せていたのは、韓国戦争の唯一の女性従軍記者であるマルグリット・ヒギンス氏(1920〜1966)だった。
◆ヒギンス氏は50年、30才の時、ニューヨーク・ヘラルドトリビューン紙の東京特派員だった。6月25日に北朝鮮が韓国を侵略すると、米国が参戦宣言をする前の27日に、特派員仲間3人とともに韓国に飛んだ。戦線を歩いて、見て聞いて感じたことを記録したルポが、「朝鮮戦争(War in Korea)」だ。韓国戦争に関する著述の中で最も早い1951年に出刊された同書は、著者に女性初のピューリッツァー賞受賞の栄光を与えた。
◆ヒギンス氏が、韓国戦争を取材しながら闘わなければならなかったのは、生命の脅威、飢え、締め切りだけではなかった。彼女は終始、「なぜ女が戦地に来たんだ」という米軍の圧力と仲間の無理解に苦しんだ。「やぁ。若いお嬢さん。ここはあんたのような女の来るところじゃないよ」。ヒギンス氏を乗せた輸送機が水原(スウォン)飛行場に着いた時、意地悪な米軍大領が真っ先に言った言葉だ。将校たちが「女性用簡易施設(トイレ)はない」とからかえば、ヒギンス氏は「韓国には草木が十分ある」と言い返した。
◆韓国戦争の初期6ヵ月の生々しい記録である同書が、「自由のための犠牲」というタイトルで今年翻訳された。世界的ベストセラーだった同書が、戦争当事者である韓国でこれまで紹介されなかった事実は驚くべきことだ。マリリン・モンローを連想させる美貌のヒギンス氏は、後に有名なタバコ会社の広告モデルをしたこともある。美しい顔に化粧品の代わりに泥を塗った女性記者は、自由を守る戦争の意味を記事と本を通じて全世界に伝えた。韓国戦争記念日が近づいているが、戦争を知らない国民には「カレンダーの中の記念日」だ。韓国国民が享受する今日の自由と繁栄は、自由世界から来た若い軍人たちが血で戦って守ったものだと、女性記者が証言している。
鄭星姫(チョン・ソンヒ)論説委員 shchung@donga.com