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[オピニオン]ツイッター

Posted June. 20, 2009 09:46,   

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20年前の1989年6月4日、中国大学生らは北京の天安門広場に集まり、政治的な自由や民主化を要求したものの、タンクを先に立たせた武力鎮圧によって挫折した。その歴史的な天安門事件について知ることになったきっかけは、ファクスミリーだった。当局がメディアや全ての通信媒体を統制した中、学生らはファックスを用いて西側にその状況を伝えた。米大学生らはこれに対する西側メディアの報道内容を、再びファックスで中国学生らに伝えた。そのため、天安門事件は、「ファクシミリー革命」とも呼ばれた。

◆1991年6月、スロベニアがユーゴスラビアから独立を宣言すると、ユーゴが侵攻した。スロベニアの大学生らはユーロ軍らによる残虐行為や民間人への虐殺を電子メールやインーたネットを通じて西側に知らせた。インターネット技術は、今のレベルから見ればまだ発達しておらず、映像を送ることはできなかったものの、内戦の惨状を伝えるのには十分だった。ユーゴに対して憤りを感じた国際世論は沸きあがり、結局、国連が介入し、内戦を終わらせた。

◆12日に行われたイランの大統領選挙で敗北したミルホセイン・ムサビ元首相の支持者らは、不正選挙への疑惑を提起し、「大統領選挙の無効」を主張しながらデモを行っている。彼らは、インターネットの「ツイッター(twitter)」を通じて、情報をやり取りしながら勢力を拡大しているという。06年、米国から始まったツイッターは、携帯電話やインターネットを利用して、140文字前後のメッセージーを送ることのできるネット上の短文メッセージー・サービス。イラン政府は、外国メディアの記者を追放するほか、衛星放送を視聴できないように妨害電波を発し、ネット上のウェブサイトを遮断した。ところが、デモ隊に向けての発砲ニュースは、ツイッターに掲載され、瞬く間にイラン全域と世界に広まった。

◆最近の米ボストン・グローブ紙には、「ツイッター・ブーム」に対する漫評が掲載されている。イランの最高指導者が、ノート・パソコンや携帯電話を手にしたデモ隊を見て、「記者らを追放しろ」と命令すると、部下の職員が「デモ隊全てが記者だ」という内容である。かつて、独裁や全体主義が可能だったのは、言路が閉ざされていたためである。しかし、世界を網目で繋いでいる情報通信(IT)技術は、政府がいくら統制しても光のような速いスピードで情報を広めている。ツイッター社は修理のため、90分間サービスを中止しようとしたが、米国務省による懸念の表明を受けて見合わせた。イラン政府とツイッターとの対決に注目が集まる。

鄭星姫(チョン・ソンヒ)論説委員 shchung@donga.com