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城南の金ハクボム監督代行

Posted December. 08, 2004 22:54,   

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「FA杯優勝で、『代行レッテル』を外す。」

チャ・ギョンボク監督の急な辞退で、プロサッカー城南一和(ソンナム・イルファ)の臨時司令塔になった金ハクボム監督代行(44・写真)は携帯電話を受けなかった。理由は何だろう。

彼は1日開かれた04アジアサッカー連盟(AFC)チャンピオンズリーグ決勝2次戦で、サウジアラビアのアルイティハドに0−5で惨敗した後、チャ監督が辞退したため監督代行を引き受けた。しかし、球団は14日始まるFA(サッカー協会)杯大会後に監督契約をしようと言った。FA杯の成績に、「代行レッテル」を外せるか外せないかがかかっているということだ。

このため、金監督代行はこの頃、外部との接触を避けながら選手調練に余念がない。「FA杯が終わってからにしよう」と言う球団の方針に内心むっとしたが、実力で評価を受けるという意志の表現だ。

しかし、チームの状況は良いとは言えない。今年、A3大会、Kリーグ杯優勝とAFCチャンピオンズリーグ準優勝などの収獲をおさめたものの、1軍選手たちが49試合の強行軍をしたので疲労が積もった状態なのだ。外国人選手たちが皆帰国したことも戦力整備にマイナスになっている。球団としては、金監督代行の危機管理能力を評価できるチャンスでもあるわけだ。

金監督代行は事実上、城南の司令塔みたいな存在だった。1998年の秋、チャ監督と一緒に城南コーチングスタッフに合流し、01年からKリーグで3年連続トップに上がるなど大きな役目をして来た。

彼は1996年度アトランタ五輪の代表チームにコーチとしてアナトリー・ビショベッツ監督を補佐しながら、先進サッカーに対する理解を広げて来た「学究派リーダー」として定評がある。1999年から毎年末、スペイン、イタリア、オランダ、ドイツ、ブラジルなどサッカー先進国に留学して覚えたサッカー理論と実戦戦術を組み合わせて、城南コーチングスタッフの「ブレーン」の役目を担当し、いち早く「ポスト・チャギョンボク」に位置付けられて来た。



梁鍾久  yjongk@donga.com