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[社説]官僚、企業、学界、国民みんなが「市場守護」に乗り出そう

[社説]官僚、企業、学界、国民みんなが「市場守護」に乗り出そう

Posted July. 21, 2004 22:43,   

経済が大事である、このままでは沈没するのではないか、と気を揉む時は過ぎた。だからと言って、むしろ完全に沈没しなければ確かな教訓は得られないだろうと、シニカルに決めてはもっといけない。どうやって建てた国なのか、どれだけ懸命に成し遂げた経済なのにこのまま見過ごすというのか。

心配や冷笑ではない、行動に移すべきだ。自由民主主義と市場経済を否定し、この際国家体制と経済体制を変えようという考えを持った団体がいたとすれば、彼らにはいかなる忠告も必要ないのかも知れない。そうでなければ、大統領も、政治家も、経済政策当局者も、他の官僚も、企業家も、労働者も、学者と研究者も、マスコミも経済復活と民生回生に向けて、自分の役割をきちんと果たさなければならない。

これと関連して、李憲宰(イ・ホンジェ)経済副首相が問題を投げかけた。「状況が困難でも、市場経済が根付かなければ国は生き残りを図ることができない。最近、韓国が本当に市場経済をしているのかについて疑問を感じる時がある」という発言だ。李副首相が銀行から諮問料を受け取ったことで批判されているが、これは別途に議論する問題で、根本的な問題は「市場経済の危機」である。

なぜ市場経済なのか。これが崩壊すれば、世界の競争から生き残りがたく、経済も民生も枯れていくしかないからだ。経済主体の自律と創意を尊重し、競争メカニズムを通じて効率性と公正さを極大化するというのが市場経済だ。「だれであれ」という利己心を経済行動の生産的な動機に活用するのが有効だという認識が根底に敷かれている。副作用は国家が矯正するものの、基本的には利益の追求が権力や政治社会的な圧力によって侵害されずに、大多数のためのパイを大きくすることができるということである。

市場経済に対する信念がゆれている国家では、資本も高級人材も、最先端技術も外へ逃げる道を探すという事実を私たちは目撃している。「反市場主義に逆行する韓国、もっと資本主義的な中国」。これが現実である。中国が市場経済に顔を背けていたなら、購買力基準で日本やドイツまで追い越して米国を追撃することができたろうか。分配と福祉を優先していた欧州の社会主義国家が沈没したり、限界を痛感して安定的な市場経済の実現にかかりっきりでいることは、何を言っているのか。

大統領が口癖のように話す「企業しやすい国、投資したい国」はまさに市場経済の原則が動揺することなく機能する国である。なのに、指導層が反企業、反持つ者への情緒をあおり、住宅のような私有財産を公共財だと我を張り、既得層と非既得層を敵味方に分けてはなんでも奪って分け与えるのが善であるかのように世論を起すとすれば、その結末は自明である。また、自分が気にいらなければ法を守らなくてもよく、人気さえ得ることができれば市場経済の原理はいつでも踏みにじることができるという認識や行動が政界と労働運動の現場、ひいては立法活動まで影響するとすれば、その害もやはり火を見るより明らかだ。

競争、制限的な規制の足かせ、改革で包んだ企業活動の制限、原価公開など市場の需給原理を無視した政策、富裕税導入の主張などを見て、「韓国が市場経済から遠ざかっているな」という判断と疑問が大きくなるのは当然ではなかろうか。韓国経済は前後もあわないいくつかの財政政策、税金政策で解決できる段階はもう過ぎてしまった、構造的な危機状態である。市場経済に引き続き揺さぶりをかけるとすれば、誰を政策責任者にしても無駄である。

だとすれば、大統領から立場を明確にし、政界も態度を明らかにすべきだ。官僚も顔色だけをうかがってはいけない。財界も逃げてばかりいてはいけない。識者グループも沈黙を決め込んではいけない。皆吟遊詩人のように禅問答ばかりしてはいけない。労働運動家にも、経済を助けて労働者皆がともに生きる道を選んでほしいと訴えたいが、それでも無理に推し進めようとすれば、過激労働闘争の被害者であるもっと多くの労働者、そして労働する権利を奪われた失業者が今のような労働運動に反対を唱えるべきだ。世界は疾走しているのに、韓国だけがイデオロギーの亡者となって国家体制と経済体制に揺さぶりをかけ、歪めていけば、行く道には墜落しかない。