
#天が崩れるようだった
2000年3月。満3歳になったヨンギルが、急性リンパ腺白血病にかかった。明るい笑顔がトレードマークであるタレント金ミョングク(40)の顔から笑いが消え去った。天を恨みながら酒におぼれた。だが、絶望は希望を払いのけるだけ…。すぐ気を引き締めた。
医者は骨髄移植を行わなければならないといった。骨髄にある血液を造る造血母細胞が自らの機能を果たせないでいるという。「血液工場」である骨髄を変えなければならないというわけだ。
全国的に探してみたが、骨髄の寄贈者を見つけることはできなかった。寄贈者が現れても、遺伝子組織が合う確率は2万分の1程度。とりあえず、抗がん剤の投与から開始した。
ガンとの闘いが始まった。繰り返される入院と退院。免疫が弱まったヨンギルは、風邪を引いただけでも高熱に苦しみ、意識を失った。真夜中に救急病院へ向かう救急車の中で、金氏夫婦の心も痛み苦しんだ。
そんなある日。ヨンギルの体からがん細胞が消えた。ヨンギルは、再び塾に通っており、元気になった。しかし、金氏は知っていた。ガンは5年が経たなければ、完治判定が下されないということを…。
このような懸念は2003年5月、現実のものになってしまった。ヨンギルの体から、再びガン細胞が発見されたのだ。目の前が真っ暗になった。今までの苦労の甲斐もく、もう手は骨髄移植しかなかった。
4ヵ月後、金氏は骨髄寄贈を訴えるため、中国コビ砂漠のマラソン大会に参加した。昼は50度を超えて砂の地表が焼けるほど熱く、夜は0度以下の酷寒が続いた。しかし、彼は毎日40〜50kmずつ6泊7日間黙々と走った。
それでも骨髄の寄贈者はなかなか現れなかった。そんな中で、金氏は出産する際に出るへその緒の血液である「臍帯血」にも、造血母細胞があるということを聞いた。昨年11月から産婦人科を回った。大学路(テハクロ)でチラシを配りながら、臍帯血の寄贈を訴えた。彼には「臍帯血ミッション」というあだ名がつけられた。
天が助けてくれたものか。今年2月、ヨンギルの組織と一致する臍帯血を手にし、ようやく手術に入った。
#希望は生きている
手術は成功した。B型だったヨンギルの血液型は、寄贈者に従ってA型に変わった。普通、造血母細胞を移植した際に、血液型は寄贈者のものに変わるが、従来の血液が残っている場合も少なくない。寄贈者の血液型の比率が高いほど成功したものとされる。今、ヨンギルの本来の血液は少しも残っていない。
しかし、気を緩めるわけには行かない。移植後2、3年が経ってもA型が維持されていてはじめて、確実な成功になるからだ。「チュホ」という名前を「ヨンギル」と変えたのもこのころだ。「永遠に健康に(永佶)」という意味だ。
もちろん、まだ山も谷もある。先日から呼吸混乱の症状が出ている。免疫力が衰えるや、得体の知れないウィルスが肺に浸透したのだ。ヨンギルは、一日に4回30〜40分ほど呼吸器を使わなければならない。
免疫抑制剤を一日2〜3回飲まなければならないことも耐え難いことだが、顔のそこここに毛が生える副作用にもっと苦労した。抗生剤は、時も問わず服用しなければならない。毎朝起きると、肺のX線を撮影してもらわなければならなかった。
治療費用の負担も重くのしかかってきた。これまでつぎ込んだ金だけで3億〜4億ウォンに上る。これからどれぐらいさらにかかるか見当さえつかない。
ところがヨンギルは明るい。金氏は、小学校1年生がそのすべての苦痛を乗り越えていくのが心強くてありがたいという。撮影のない日になれば、一日も欠かさず病室に顔を出す金氏も明るい。
金氏は、ヨンギルが元気になれば、家族みんなで寿司と刺身を食べたいという。今、ヨンギルは生の食べ物が食べられない。
「最初はヨンギルしか目に入らなかったんです。しかし、今は変わってきています。ヨンギルは、同じような病気に苦しんでいる多くの子供の希望です。私の人生のすべてをかけてでも、ヨンギルを必ず元気にさせたいと思います」
彼の目頭が赤くなった。苦労しているからではない。それは希望の涙だった。
金相勳 corekim@donga.com






