自民連の金鍾泌(キム・ジョンピル)総裁の言動は、たびたびコメディアンのそれを見るような感じを与える。仮に、コメディアンになってテレビのトークショー番組にレギュラーで出演していたら、視聴者たちは絶えず時の流れに乗り換えながら、時には正鵠を得た、また時には人間の隠密な魔性に迫るような、その驚くべき見識と風刺能力に拍手を惜しまなかったことだろう。大統領選挙が終わった後も、JP(金鍾泌)のずば抜けた資質は間違いなく光を放った。盧武鉉(ノ・ムヒョン)次期大統領のことを「昼のロウソクの灯り」だと称賛した。すぐに理解できない人々のために、JPは「外にいる時は気づかないが、夜になるとロウソクの灯りが周囲を照らすように、本来の席にいれば自身の能力を発揮する人」だと親切に解説までしてくれた。
◆悲劇は、JPがコメディアンでない政治家であるということだ。それも、並の政治家でなく「40年政治史の真の勝者」と呼ばれる「永遠なるナンバー2」だ。ナンバー2の位置がどんなに責任のない位置だとはいえ、決して簡単な位置だとは言えない。出来が良すぎるとボスににらまれ、出来が良くないと下に突き上げられるからだ。その上、彼が擁立した大統領には銃声に命を失った人もいる。それでもJPは、依然として健在だ。ある人は「JPは、権力の属性をあまりにも知り尽くしているために、権力を離れて生きることも、それに抵抗することもできないのだ」と説明したことがある。しかし、次のように説明した方がより簡単明瞭ではなかろうか。「適時に適切に身の振り方したおかげだ」と。
◆JPは、1992年に金泳三(キム・ヨンサム)氏が大統領に当選した時も、影をも踏むまいとして「影論」を説いていた。YS(金泳三)が大統領に就任すると「燕雀にどうして鴻鵠(大きな雁と白鳥)の大なる志を知ることができようか」として、礼儀を整えて仕えた。98年に金大中(キム・デジュン)氏が当選した時も「40年間、死線を五度も渡りながらも希望と意志を捨てなかった」として「新影論」を繰り広げた。そのおかげでJPは、40年を粘り強く生き延びた。この部分で、盧次期大統領がまだ候補だった時、JPが「労働者が国の主人にならなければならないと騒ぐ人に、私たち子孫の明日を任せるわけにはいかない」と話したことを敢えて思い起こす必要はない。なぜならば、JPは、そうやって生きてきたし、今後もしばらくくそうやって生き延びようとするだろうからだ。
◆現場で活躍している20、30代のコメディアンたちは、今からでも遅くない。JPから、いろいろなアイディアと言語能力を学び、放送文化を発展させることを望む。そしてJPも知るべきだ。3金時代が終わったという歴史の流れにもかかわらず、相変らず今の位置を守ることにあくせくするのなら、しかも夢と犠牲と救援の象徴であるロウソクの灯りを引き込んでナンバー2に留まろうとするのなら、それこそロウソクの灯りに対する侮辱であるということを。
金順徳(キム・スンドク)論説委員 yuri@donga.com






