水害に見舞われた江原道(カンウォンド)の被災地には、5日午後から再び強い風を伴った雨が降った。慣れない他人の家で、川辺のテントの中で、コンクリートの臭いが漂う教室で、被災者たちは不安な気持ちを必死に抑えながら、疲れ切った体を横たえた。
5日午後6時ごろ、江原道三陟市(サムチョクシ)ミロ面ハジョン里。50世帯のうち、外見上、無傷な家は5、6軒を数えるだけの水害の悲惨な傷跡が、次第に闇の中に消えて行った。
先月31日、ハジョン1班(バン、行政区域の最小単位)と2班の間を流れる五署川(オシップチョン)がはんらんし、電気、通信、水の供給が断たれてからすでに6日目。ミロ面に通じるミロ橋も崩壊してしまい、ようやく4日になってから軍のヘリで救援物資を受け取ることができた。
五署川辺砂浜にテントを張ったキム・ゴヒョン(62)、キム・スニョン(56)夫妻は、早々と寝支度に入った。灯りをつけるロウソクすらなかった。五署川がはんらんした日の夜、2人は着の身着のまま、裸足で逃げた。家は倒壊し、初めての収穫を目前に控えた1600坪のぶどう園は、全滅状態だった。
砂の上にござを敷き、そのうえに敷布団を敷くのがやっとだったテントは、風に吹かれてひどく揺れていた。
「もう少し風が強くなれば、ここからも追い出されるだろうな」という夫の言葉に「コンテナーボックスが要るわね」と、妻が相づちを打った。
被害の程度が軽かった隣人の家を転々しながら泊っていたものの、心身ともに疲れた頃の4日になって、ソウルで警官をしている一人息子がテントを抱えてやってきた。
「秋夕(チュソク、旧暦のお盆)休みにまた来ると言うのを止めました。泊まる所もなければ食べ物もないとあっては‥」言葉に詰まった妻のキムさんは「今日はボランティアの人が持ってきてくれたおにぎりを食べたせいか、お金持ちになった気分」と言いながら苦笑いを浮かべた。
午後11時ごろ、江原道江陵市(カンヌンシ)チャンヒョン洞モサン小学校の一室で、60、70代のおばあさんたち10人余りが、寝付かれないままテレビのニュースに見入っていた。
「昨年買っておいた150万ウォンもする死に装束の壽衣(スイ)をなくした」という権五子(コン・オジャ、74)さんは、何よりも孫たちの写真がなくなったことを一番惜しがっていた。
窓の外の雨風が次第に強まるのを見ていた李花善(イ・ファソン、62)さんは「車の中で寝泊りしている長男夫婦が心配だ。結納の際にもらった嫁の装身具を持ち出せなかったのが辛い」と涙を浮かべた。
強い雨風に加えて気温まで下がったこの日、復旧作業をしていた被災者たちは、道端に持ち出した家財道具をビニールで覆い、家の前に砂袋を積み上げるなど、再び襲うかもしれない浸水の脅威に、眠れない日々が続く。
閔東龍 sunghyun@donga.com mindy@donga.com






