「身の不自由な人のために生きるように、という神様の意志にようやく気付いたような気がします」。
延世(ヨンセ)大で、30日、36年ぶりに名誉卒業証書を受け取った肢体第1級障害者の鄭徳煥(チョン・ドクファン、56)氏の声が震えた。鄭氏は身の不自由な人のための福祉施設を運営しているエデン福祉財団の理事長で、柔道の国家代表選手だった。
延世大は30日、身の不自由な人の福祉とリハビリに努めた功労を認め、鄭氏に名誉卒業証書を授与することを決めた。鄭氏は、中学・高校時代、全国柔道選手権大会と大統領杯を席巻し、1966年、延世大・史学科に入学すると同時に国家代表選手に選ばれた。
しかし、兵役を終えた後、大学3年の1972年、練習途中に首に重傷を負って全身麻ひになり、柔道はもちろん学業まで中断せざるを得なかった。全身麻ひの障害者が通うには、学校の施設が不十分すぎて悪条件だった。
失意の鄭氏は、1976年コーチになることを希望し、夫人の李(イ)スンドック(54)氏とともに車椅子に乗って母校を訪ねたが、夢を叶えなかった。
「落胆したまま車椅子に乗ってキャンパスから出て来たとき、この地の身の不自由な人々とともに生きるようにという、神様の声が聞えてきました」。
その声がさ迷っていた鄭氏を支えてくれた。1980年、取りあえずソウル九老区(クログ)九老4洞に小さな店を開いて新しく出発した。それ以降苦労を重ねて集めた金で1983年10月九老区ドクサン洞に身の不自由な人のためのリハビリセンター「エデン福祉園」をオープンしたのだ。エデン福祉園は、後にエデンハウスと改名し、鄭氏は身の不自由な人の福祉館まで設け、本格的なリハビリ事業に乗り出した。
1990年福祉財団の認可を得たエデンハウスは、1999年の冬、京畿道(キョンギド)パジュ市に移転、現在、脳性麻ひ・精神・肢体など各種の重症障害者86人が寝食をともにしながらゴミ袋を作り、年間30億ウォン以上の売り上げをあげている。
鄭氏は「身の不自由な人のための福祉事業を生涯の事業と思っており、重症障害者が自立できるよう最善を尽くしたい。わたし自身のもう一つの体になってくれた妻と2人の息子に心から感謝している」と語った。
閔東龍 mindy@donga.com






