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[社説]意欲過剰がもたらした「教室のない学校」

[社説]意欲過剰がもたらした「教室のない学校」

Posted February. 08, 2002 09:37,   

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学校は開校されたというのに、教室がないというとんでもない事態が現実に起きようとしている。政府は教育環境改善事業の一環として、新学期に250校余りの小中高校を開校することにしているが、このうち一部がいまだに完成できずにいる。

これら新しい学校への入学が決まった子どもたちは、近くの学校で「居候」を余儀なくされる羽目になった。学級当りの人員を少なくすることによって教育の質を高めるという、教育当局の計画が周辺の学校の教育の質まで落とす被害を与える結果を招いているのだ。

これは、基本的に学級当りの子どもの数を、現在の42.7名から35名に減らすという金大中(キム・デジュン)大統領の意欲過剰がもたらしたものだ。任期中に何か目に見える成果を出そうとする政治的な焦りのために、教育現場に混乱と副作用だけをもたらしているのだ。さまざまな要因を考慮しながら落ち着いて進めるべきことが、大統領の指示事項ということに圧倒されてごり押しに進められているのだから、工事に狂いが生じるのも当然だ。

もちろん、学級当りの子どもの数を少なくすることは充実した教育のためには必要なことだ。先進諸国に比べて過密な韓国の教室の現実では一層求められている。

しかし学校を新しく建てることにしろ、既存の学校に教室を増築するにしろ、あまりにも性急に進められている側面がある。既存の学校は、工事現場と化している。校庭の至る所から出る騒音のために授業の雰囲気は大きく損なわれており、一部の学校では父母が抗議して工事を中止させている。敷地がないため、運動場や緑地、屋上に新しく教室をつくり、体育館や実験室を教室に改造したりもしている。

こうしてまで「学級当り35名」を達成することが、それほど急がれることなのだろうか。教員をきちんと確保できるのかも心配だ。

教育当局は、大統領の任期を意識せずに、より長期的な視点に立ち、総合的かつ体系的な教育環境改善策を設けるべきだ。百年の計といわれる教育問題を軍事作戦でも展開するかのように、スピードだけを重んじて進められてはならないはずだ。