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[オピニオン]「大臣遠慮致します」

Posted February. 06, 2002 09:29,   

韓国のように出世指向の国で長官(大臣)になるというのは、社会的な尊敬と名誉の証しであり、立身の完成を意味する。国事を掌る資格が与えられるということは、その人の能力と人柄が公認されたことを意味するからだ。それゆえ、内閣の再編前後に、受話器から手が離せないまま「白羽の矢」が立つのを待ちわびる人が数えきれず、下馬評の対象となった人たちのビハインドストーリーが、しばらくの間世間の話題になったりしたものだ。

ところがこの様相は、現政権に入ってから大きく変ったようだ。先日行われた内閣の再編をめぐって、ここ数日の間、批判の世論が沸騰したかと思うと、いつの間にか収まっている。大統領の人選のスタイルに、いまさら大騒ぎしたところで何になる、といったあきらめのせいでもあり、誰が抜てきされようが、任期末の改革には限界があるはずだ、という判断によるものでもあるだろう。ともかく、現政権になってからというもの、ひときわ頻繁に行われた内閣の再編により、長官の価値が急落した。

感極まる使命感はつかの間に過ぎず、後を絶たない不正腐敗のなかで、自分の身を守るのもままならないうえに、志半ばで問責人事と政局刷新という名分のもと、廃棄処分になる運命にさらされることが多くなったのだ。

強いてたとえるなら、長官は朝鮮時代の判書(パンソ)にあたる。科挙(クァゴ、中国と韓国で施行された官吏選抜試験制度)に受かった大勢の人材のなかでも学識と人柄に優れ、気概のある者でなければ、最高の官職には登用されなかった。判書は、一種の生涯職場と同じで、直言と泣訴をもって王を悩ます臣下を管理するのもままならなかった。御意よりも、儒教の統治哲学の方を重視したのだ。直にたとえるのもなんだが、大統領の「意中」を読み取れない長官であるほど、優先的に更迭リストに挙がるこのごろとは、あまりにも違っていた。自主性と開放性が何よりも必要とされる民主主義の時代において、長官の短命と価値の下落は、ある意味では、低いレベルの統治技術を示唆しているのかも知れない。このような状況だから、長官の席を固辞する者が出るのも、もっともな話だ。

面白いことは、独裁政権時よりも民主政権において、長官の短命化が進んだという事実。ある研究によると、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権における長官の平均在任期間は18.3ヵ月、ノ泰愚(ノ・テウ)政権は13.7ヵ月だったのに対し、金永三(キム・ヨンサム)政権は11.6ヵ月、金大中(キム・デジュン)政権は、10ヵ月足らずであるということだ。

この4年間で教育、海洋、法務部長官は6回、財政経済部(財経部)長官は4回入れ替わっており、政策企画首席は7人目、政務首席は6人目の人物に替わっている。任命状を受け取るや否や更迭された人も2、3人いた。栄辱の崖の上からバンジージャンプをした気持ちだったに違いない。

さらに、人事の無原則性が追加される。新しい内閣の面々は、腐敗スキャンダルに染まった国政に対する、一大刷新を期待した国民に水を差すような効果を生んでしまったのだ。朴智元(パク・ジウォン、大統領秘書室政策担当特別補佐官)のような人物を側に置かずにはいられない、あの頑固なまでの思いやりは、消耗品として使われた一団の人々とは、かなり対照的である。ともかく、これほど頻繁に更迭が行なわれたということは、大統領の周辺と政府省庁がいかに慌ただしかったかを物語っている。官僚たちは、新任長官のスタイルを把握するのに大事な時間を費やしたはずで、国務会議の席で閣僚たちは大統領の意中を見極めようと、必死に読唇術を駆使したことだろう。

民主的な政府になるほど長官の短命化が促され、無原則的な人事が行われる現象をめぐって、解釈がまちまちだ。ある者は、大統領の「心理的恐慌状態」を、またある者は、閣僚に対する大統領の絶えることのない不信感を語ったりする。あるいは、大統領の有識さと張り合える人物探しが容易でなかったかもしれない。

それ以上に注目したいことは、改革への意志と政府の力量の間の大きなギャップである。改革への意志は高いものの、力量不足の少数与党による政権であるほど改革政治は漂流しやすく、それだけにミスも多くなるもの。塞がった通路を空けなければならないという切羽詰った思いは、統治者にして常に新しい人物を追い求めさせる。交替が頻繁になるほど政策の一貫性は劣り、長官のことばには重みがなくなる。統治の論理と倫理を正していたかつての大監(デガム、朝鮮時代正2品以上の官職を持つ者の尊称)はいま、政局の刷新と世論を揉み消すための風除けとなてしまったのだ。

したがって、長官を頻繁に替えてまで改革政治を成し遂げたいとする焦りが読み取られた際には、青雲の志を抱く政、官、学界そして財界の有識者は、身の用心するのもよさようだ。「家門の栄誉」であり「君恩枯骨に及ぶ」と考えている人なら未だしも、内閣の再編がある時には電話機を遠ざけるか、それでも連絡が来るなら、丁ねいに固辞する術を覚えるのはどうだろうか。「長官にならない方法」を身につけなければならない時代は、何だかやるせない気持ちになる。

宋虎根(ソン・ホグン)ソウル大学教授(社会学)