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[オピニオン]専門家を養成する公務員社会の風土が望まれる

[オピニオン]専門家を養成する公務員社会の風土が望まれる

Posted July. 16, 2001 09:04,   

東江(トンガン)ダムの建設を白紙に戻すことができた時、多くの人が快哉を叫んだ。洛東江(ナクトンガン)水系の5個のダム建設計画も環境団体および住民の反対ですべて白紙に戻された。しかし、今年の酷い干ばつでさらにダムを建設するという政府発表に、市民団体は鳴りを潜めており、今回の集中豪雨で水害まで被ったことで政府は同ダムの建設計画にさらに自信を持ったようだ。

国家の大事が国民の不満と天災地変で左右されないためには、まず説得力のある基本計画を立てて、計画を滞りなく進めなければならない。しかし、韓国においては、大半の基本計画が有名無実なものだったり、単なる建設計画に過ぎない。例えば、6大都市すべてが運営費も賄えきれない地下鉄を建設したために首が回らない状態であり、利子も支払えない韓国道路公社は2020年まで高速道路を2000キロから6000キロに拡張するとしている。

説得力のある計画を打ち立てるためには、政府が十分な専門知識と技術情報を持っていなければならない。しかし、政府には専門家もなければ、蓄積された情報もない。国際学術大会の発表者らは大概、産・学・官に3等分することができるが、韓国の官僚は発表はおろか傍聴席でも見当たらない。さらに専門家と対話できる用語だけでも知っている官僚も見当たらず、専門家との交流を避けようとするケースさえ見られる。

政府組織内に専門家がいない理由は簡単だ。循環補職で専門知識を貯える機会が遮られ、外部から専門家を迎え入れることにも疎かにしてきたためだ。反面、専門家らは自ら進んで市民団体に参加して活動しているため、政府がこうした市民団体を論理で負かすことが困難になるのは当然なことだ。このままでは、市民団体が市民の意見を代弁するのにとどまらず、政府の主要政策にも参加して決定を左右する可能性もなくはない。

政府はなぜ専門家を忌避するのか。すべての公務員を上層部の指示に従って一糸乱れずに指揮したい、というのが一つの理由ではないだろうか。政治論理によって政策を処理しようとするとき、是非を問いただす専門家よりは盲従する部下が必要なのは当たり前だ。

数年前の夏、漢江(ハンガン)が洪水した時、水門をいつ開くのかが焦眉の関心事になったことがある。水門を開ける作業は正確な分析と判断が必要なため、長い経験とコンピュータを動員したシミュレーションを通じて決定するのが一般である。当然専門家の領域だ。しかし、赴任して幾ばくもない一般行政職が決定権をもっていることがわかって驚きを禁じ得なかったことがあった。

このように専門分野にいたるまで政治で決定することに専門家らは挫折を感じ、足下の火消しに瞬発力だけが伸びて、上司に盲従する結果を招いた。今や世界は、専門家らさえも自分の分野一つだけでも追いつくのがやっとというほど、日増しに発展している。

先進国の仲間入りを夢見ている韓国が、専門家なしで国を運営するとはいかにも情けないことだ。ましてやいたとしても、自分が属する集団の利益だけを追いかけているようで、この国がどこへ向かっているのか、心配だ。

愼富饁(シン・ブヨン、交通環境研究院長)btshin@teritek.com