教育界の内外で熱い論争を巻き起こした中高生の頭髪自由化問題は、最終的に生徒らの意見を受け入れるかたちで自由化するという結論が出た。最近教育省の頭髪問題対策会議で、生徒を含む学校関係者の意見を反映して学校単位で自律的に決定することにしたものだ。
生徒らは頭髪の規制を「基本権の侵害」であるとして強力に反発し、インターネットやパソコン通信などでは自由化を要求する青少年の意見と当局に対する訴えがあふれていた。時代が変わった以上、現在のように画一的なヘアースタイルを強要するのは時代錯誤な発想であり、その意味と実効性は喪失したと思える。
それにしても今回のこの決定は時期を逃したものだと思う。頭髪自由化論争が始まったのはずいぶん前の話であり、世論もまた「自由化すべし」だったにもかかわらず、教育省はじりじりと決定を先延ばししてきた。しかし先日、頭髪自由化を要求する中高生らのデモがソウル市内で行われるや、あわてて決定を下したのだ。
従ってこの決定を巡る前後状況は、まるで教育当局がデモのためにやむを得ず生徒の要求を受け入れたように映る。もし当局が以前から自由化の考えがあったのなら、もっと迅速に決定を下すべきだった。これは教育省の「無所信」を示す実例として扱われるだろう。
今回の措置で頭髪が「100%自由」となるわけではないようだ。生徒・学校・父兄の三者が話し合い、具体的な基準を定めるようになっているためである。だからといって心配が完全になくなるわけではない。頭髪自由化が、いくら個性と自己表現が尊重される時代の流れに沿ったものだとしても度が過ぎた場合に問題になる。ヘアースタイルがもっとも敏感な流行である点から、混乱の可能性を取り除くことはできない。彼らが厳然として生徒の身分であるのだからなおさらだ。
従って新たに決められる頭髪の基準は、最低限常識的なラインを守るべきだ。問題はその基準を「誰が、どのように決めるのか?」だ。学校側は基準を決める際、主導権を握ろうとするだろう。しかし今回の措置は、生徒自らが責任意識を持つようにする意味が大きいだけに、生徒らがまず基準を定めるようにすることを積極的に考慮すべきだ。生徒らが決めた基準を学校関係者が共に協議して最終決定を下すのである。
自律には常に責任が伴うものだ。生徒達も与えられた権限をよく考えて行使する「自己統制訓練」をしていく必要があるだろう。






