南北共同宣言が発表されてからちょうど16周年目になる。これまで進められてきた南北会談や南北関係を見ると、いくつかの特徴が明らかになっている。
まずは、さまざまな会談が開かれ、時には実りのあるものもあったが、全体的にはその中身が大きくなかったと言うことだ。懸案に対する締めくくりを、1次会談では2次会談に、2次会談では3次会談に先送りすることに国民も慣れてきている。ナポレオン戦争が終わり、欧州の秩序を回復するために、1815年ウィーンで開かれたいわゆるウィーン会議が、数多くの舞踏会を開く中、列国間の交渉が行われたが、これといった成果はなかった。これを指して西洋外交史の教科書で「会議は踊る。しかし、先へは進んでいない」と、 論評したことを連想するのではあまりの飛躍だろうか。とにかく、派手で華麗な修辞が乱舞したが、実りは多くなかったのである。
二つ目は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の経済協力の要求が各方面に拡大し、その金額も増えていると言うことである。予想できなかったものではないが、肥料や食糧、電力を始めとする支援の対象が一つ一つがその姿を現すたびに、「果たして韓国の経済力で賄えるだろうか。これからもどれほどの支援をしなければならないのだろうか」と思ってしまう。人道主義レベルとか民族当為論の観点や、特に韓国の支援が南北関係の改善と和解の基になるだろうと言う期待からも、北朝鮮を助けなければならない。そして、そういう過程で韓国の犠牲が伴うかもしれない。しかし、それも程度の問題である。
三つ目に、北朝鮮は論外として、韓国だけを見ると政策の決定に透明性に欠けているということである。もちろん、ある程度は秘密的な要素があるはずだ。しかし、報道によると南北閣僚級会談の韓国の首席代表である統一相も、その経緯がわからず「このままではいけない」と不快感を示したと言う。北朝鮮がどのような根拠で、正確に何を要求しているのか、また、韓国はそれらの要求に対して、どのような根拠からどのように答え、何をどれだけ提供したのか、また今後どれほどの提供をせねばならないのかわかる術がない。
こうして表面的に表れている現象から、政治に無関心な一般市民らの間でも批判の声が高まっている。初期の感動や感慨が、冷笑と批判へと替わりつつある。世論調査で、「望ましい事である」と答えた人も、「それは世論調査だからそう答えただけ」と皮肉っている。南北関係の将来を思うと、決して望ましくない雰囲気が形成されつつある。
このような中、最近北朝鮮の二つの決定に注目せざるをえない。
まずは、国防委員会の第1副委員長であり、北朝鮮軍の総政治局長であるチョ・ミョンロック(趙明祿) 氏の訪米である。アメリカとの関係改善は北朝鮮としては至急な課題である。アメリカとしても北朝鮮のミサイル開発を中断させることや在韓米軍に対する北朝鮮首脳部の真偽をつかむことは重要なことである。北朝鮮の権力構造の実質的な2人者であるといわれているチョ・ミョンロック第1副委員長の訪米を通じて、相互理解が成立し、米朝関係改善の糸口が見つかれば幸いである。しかし、一方では北朝鮮が朝鮮半島の和平協定締結を始めとする朝鮮半島の軍事や平和、安全に関する問題を、韓国を取り除き、米朝対話を通じて解決しようという従来の政策を取っているのではないかという疑問も残る。故に、南北共同宣言では朝鮮半島の軍事と平和、安全については全く言及していないからだ。
二つ目は、労働党創党記念日に韓国の政府、政党、社会団体および個人を招いたことである。南北関係が本質的に幅広く、深く進展しているのであれば、南北の主要政党や社会団体の創立記念日に南北の関係者が行き交うのは自然なことだ。しかし、労働党創党記念日は10月10日であり、召請にしてはあまりにも時間が無く、その形としても丁重ではない。それでなくても韓国内部で取り沙汰されている「北朝鮮論争」に油を注ぐことになり兼ねない。
結局、北朝鮮が南北関係と絡んで示している態度は、韓国の立場を特に、対北朝鮮和解論の代弁者であり実行者である韓国政府を困らせているのである。北朝鮮が、本当に南北対話を望むのであれば、韓国政府が対北和解論の立地を失わないようにするべきだ。韓国では政府の意思も重要だが、国民の同意が何よりも大事だと言うことを忘れてはいけない。北朝鮮の態度のために、韓国の国民の世論が、政府の対北政策を批判するようになれば、北朝鮮にとっても不幸な結論を招くことになるだろう。






