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[オピニオン]土の上を歩く暮らし

Posted September. 10, 2016 07:10,   

Updated September. 10, 2016 07:58

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都市を「乗り物」と「地下空間」という二つの言葉で決めつけるのは憶測だろうか。それだけ都会人の暮らしは、自然と一緒になるのがなかなか難しい。歩くことや自然と交感するということの真なる意味は何だろうか。

昨春、慶尚南道咸陽(キョンサンナムド・ハムヤン)から出発して、山清(サンチョン)、河東(ハドン)、全羅南道求禮(チョンラナムド・クレ)、全羅北道南原(チョンラブクド・ナムウォン)を経て、出発地に戻ってくる智異山(チリサン)のトゥレ道250キロを、二人の友人と13日間ひたすら歩いた。早春なので変化に富んだ天気のせいで大変つらかった。初日の気温は氷点下6度、最も気温の高かった日は22度で、一日中雨に当たった日もあった。4回目の失業者としての生活を克服できる力を得るために乗り出した道だったが、自然の強い生命力を手にして戻ってきた。今も目をつむれば、雪を頂いている智異山天王峰(チョンワンボン)や中峰(チュンボン)が見えたある稜線の厳しい風、梅の香りを抱いていた花開(ファゲ)のそよ風、顔をなでた求礼オミ村の小雨、咸陽チャンウォン村の柔らかい日差し、山清ベクウン谷のさえずる小鳥の音、空は手狭だとわめきたてていた河東岳陽(アクヤン)の空の星々を丸ごと感じることができる。

13日間歩いてばかりいたので、緩いスピードに適応した体は、ソウルの早いスピードに拒絶反応を見せて、しばらくはバスに乗ればややめまいがするほどだった。地下に降りていく足も重かったが、地下鉄に乗って地下にある飲食店で食事をすることは、相当居心地が悪かった。地下に住んで、地下鉄で通勤し、地下で仕事をする都市生活。日が昇っては暮れ、風が吹き、雨風が吹き、気温が上下する自然の変化から隔離された生活なので、健康を壊しやすい。

ここ金泉(キムチョン)では、よく山登りをするが、ソウルとは違って自宅から歩いて風浴を楽しみながら歩く。猛暑が猛威を振るっていたある夏の日、頂上に到着する時までただの一人にも会うことができなかった。暑い日、普段もあまり人気のなかったところなので、上着を拭うと、素肌をなでる涼しい風に酔って、今は完全に嵌ってしまった。金泉市雲南山(ウンナムサン)を上る贅沢だ。

人間は元々、歩くことに慣れている。大勢の現代人たちは都市でより少な目に歩き、乗り物を多く利用することになり、また、多くの時間を地表ではなく、地下の方で暮らしながら、自然から相当隔離された生活を送っているので、一度ぐらいはわざと新しい試みをするのはどうだろうか。車や地下鉄を捨てて、一つや二つぐらいの駅を歩くことも、そんな試みの一つといえる。たとえ、立ち並んでいるので素晴らしいとは少しいいがたい街路樹でも、そのような物たちが示す季節や、道端の猫の額ぐらいの花壇の花が伝える美しい香りを発見する幸運に出会えるかもしれない。日差しに当たり、風にさらされながら、土の上を歩く小さな試みが、意外と活力を与えるかもしれない。

パク・ハンギュ