盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が全国教職員労働組合(全教組)の「反米教育」に触れたのは合わせて3回だ。問題は、その都度、発言の方向が変わって、国民に混乱をもたらしていることである。普段、原則と所信を強調する盧大統領の政治哲学とは相反している。
盧大統領は、先月22日「全教組の反戦教育に反米内容まで入っているという報告を受けた」と述べ、「反米は国民的な合意が必要な事案なのに、特定の教育団体が子どもたちに教えても良いのか検討するように」と教育人的資源部(教育部)に指示し、全教組の「反米教育」を問題視した。その2日後の24日、盧大統領は「全教組の反米教育については、誇張・増幅されて伝えられていたようだ」と釈明性発言で一歩退いた。
おととい、盧大統領に反米教育の実態を報告する場が設けられた。全教組の一部の授業資料が反米感情を誘発しかねないという教育部の報告を受けた盧大統領は「特別に問題視しないのが良いと思う」と述べ、もう一歩下がった。
さらに当惑させられるのは、盧大統領が先の発言と合わせて「価値観を教育する権利は国にあり、全教組が代わってそれを指示してはいけない」と述べたことだ。反米教育の実態調査の報告を聞いて、別に問題ないと判断されるという意味なのか、あるいは、全教組に過ちがあるという意味なのか、どちらでもないあいまいな姿勢である。
「反米教育」はそれほど複雑な問題ではない。反米の内容が事実であることが分かったからには、大統領は教育の中立性が保たれるべきだという原則を強調すればよい話だ。大統領の言葉があいまいになりつつあるのは、全教組を意識しすぎているためではないだろうか。
教育当局は、大統領のどの言葉に従えば良いのか困っているはずだ。「反米授業」でなくても、教育問題は極端な葛藤に向かっており、ここには全教組の責任もある。大統領の不明確な姿勢はこうした葛藤を放置することになる。最高統治者として「コード」が通じるのと、是非を正すのははっきり区別しなければならない。