「広島に新型爆弾-相当な被害」「長崎にまた新型爆弾」。56年前の8月のちょうどこの時期、朝日新聞は米軍飛行機の原爆攻撃をこのようなタイトルで報道していた。8月6日、9日に相次いで投下された原爆の威力は日本列島を震撼させた。ついに8月15日無条件の降伏を宣言する。
ローマのバチカン大使館に務めていた日本の外交官(代理公使)は、その天皇の降伏のニュースを聞いた。
ただちに帰国命令が下された。それは天皇や軍部、外務省の指示ではなかった。東京に進駐したマッカーサー司令部の布告令だった。しかし、帰国の望みがなかった。家族が多い上、貧しい敗戦国の外交官の身であるため、飛行機運賃どころか船代さえ工面する道がなかったためだ。
敗戦のドン底で外交官はアルバイトを始めた。切り札はヨーロッパ専門の外交官として身につけたフランス語、英語の解読能力。家族の糊口を凌ぐため、「駐在国」だったバチカンでフランス語の翻訳をした。後でマッカーサー司令部が彼の事情を知るようになった。彼に帰国便飛行機のチケットを送ってくれたのがマッカーサー司令部であった。
これは金山政英(97年死亡)という駐韓大使(66〜72年)を務めた、外交官の体験談だ。韓国については門外漢のままソウルにきた。しかし、ポーランド大使への任命から三ヵ月後に突然韓国大使に任命され、彼は韓国寄りの人となる。いまは遺骨一部が京畿道坡州(キョンギド・パジュ)のキリスト教墓地に埋められているほど。「あの世の中でも二国のために奉仕したい」とする彼の遺言通りだ。
その金山の有名な言葉がある。
「日本は第3の開国が必要だ。明治維新が第1の開国だった。第2の開国は第2次世界大戦(に参加して敗戦したこと)を通じてであった。そしてこれから必要な第3の開国はアジアを受け入れて手を取り合うことだ。前後40年が過ぎたのに、戦後の処理が順調に進んでいないことは恥ずかしいことだ。」最近出版された「キムチとうめぼし」(予知出版社)にもそのような話が出てくる。
新しく日本を率いることになった小泉純一郎首相の靖国神社参拝を見守りながら、改めて金山の骨身にしみる体験と洞察を考えさせられる。日本首相が敗戦56周年を迎えて戦後の処理どころか、歴史認識の転換はさておき、アジア諸国の非難の警告まで無視して敢えて戦犯慰霊所を訪れるというニュースを聞き、考えにふける。
日本が起こした戦争で日本の外交官の金山もそのような厳しい試練を経験した。まして日本という他国異民族の強圧によって戦争に駆り出され、徴用の犠牲になったアジアの人々の悲劇、その莫大な被害は改めていうまでもない。日本が招いた災難で韓半島が分断され、多くに人々が原爆被害に苦しんでおり、日帝の支配を受けていた民族が今日の日本を厳しい眼差しで注視している。
小泉政権は金山が言う「第3の開国」とは正反対の方向に向かおうとする。21世紀の日本を精神的鎖国に追いやろうとする。それで小泉の単純明快で、大衆が熱狂する迫力ある言動はあたかも第二次世界大戦の第1戦犯、東條英機(彼の位牌が靖国神社にある)の歯切れのよさを連想させる。
東條をはじめとするA級戦犯7人はマッカーサー司令部により処刑された。しかし彼らを殉国七士にまつりあげる右翼勢力がある。彼らは戦犯墓地の前に(戦勝連合国の)「暴虐非道(非道)なこの復讐はあたかも太古時代の野蛮行為と同じようなものだ」と書いて哀悼する。「今日の日本の平和と繁栄は中国事変と大東亜戦争で数多くの犠牲者が出たためであることを忘れてはならない」と案内標識は書いている。
これまでそのような発想は一部であり、少数に限られていた。しかし、日本の政治、経済的な低迷と挫折が繰り返されたここ10年間、列島のうっぷんと嘆きは異常な現象につながり、不吉な突破口を求めていく様相を呈している。教科書歪曲と小泉現象がそれを代弁する。ナショナリズムは常に内部的な不満と矛盾という形で噴出され、結局、亡国のような大災難を招く。これはドイツ、イタリア、日本の歴史でも現われている。小泉首相が率いる日本を案ずる理由がまさにここにある。
金忠植(論説委員)
金忠植 searskim@donga.com