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海軍提督、指揮者、野球監督…この3つを夢見ていた人の職業は?

海軍提督、指揮者、野球監督…この3つを夢見ていた人の職業は?

Posted November. 18, 2023 09:47,   

Updated November. 18, 2023 09:47


「男として生まれ、やってみたい事が3つある。連合艦隊司令官、オーケストラ指揮者、そしてプロ野球監督だ」

この言葉を残したのは、フジサンケイグループ元会長の水野成夫氏(1899~1972)。水野氏は1965年に「国鉄スワローズ」を買収し、プロ野球チームのオーナーになった。つまり、タイトルの正解はプロ野球球団のオーナーだ。

水野氏はオーナーになった後、チーム名を「フジテレビ」で放映していたアニメ「鉄腕アトム」から取って、「サンケイアトムズ」に変更した。アトムズは球団の歴史の6年間、セントラルリーグ6チームのうち一度も4位以上に上がれなかった。水野氏はそれでも「いっそ私が監督をしようか」という考えを行動には移さなかった。

CNN創業者で有名なテッド・ターナー球団オーナー(85)は違った。76年に米メジャーリーグベースボール(MLB)のアトランタ・ブレーブスを買収したターナー氏は、翌年チームが16連敗に陥ると、デーブ・ブリストル監督に休養を命じ、自ら指揮棒を握った。監督デビュー戦の結果は1-2敗。当時38歳だったターナー氏は「次の試合は必ず勝つ」と誓った。

その時、MLB事務局が、「コーチングスタッフは球団の株式を所有できない」という規定を根拠にブレーキをかけた。ターナー氏がブレーブスの監督を続けるには、球団の株式をすべて売却しなければならなかった。ターナー氏は、「この規定を昨日突然作ったに違いない」としながらも、結局指揮棒を置いた。ターナー氏はそれで「1100万ドルを集めてMLBチームを買えるほど賢い人なら、当然そのチームの監督もできる」と抗弁した。

ターナー氏の話が完全に間違っているわけでもない。実際、MLBの初期にはこのような規定はなかった。コニー・マック監督(1862~1956)がMLB史上最多勝(3731勝)の指揮官になれたのは、マック氏がフィラデルフィア(現オークランド)・アスレチックスのオーナーでもあったからだ。そのおかげでマック氏は1901年から50年間、「切られる心配」なくアスレチックスを指揮することができた。

毎年、プロ野球の韓国シリーズが終わると、メディアは、「同行リーダーシップ」(KIA=キム・ギテ)、「尊重リーダーシップ」(SK=ヒルマン)、「粘り強いリーダーシップ」(斗山=キム・テヒョン)、「兄貴のリーダーシップ」(NC=イ・ドンウク)、「傾聴リーダーシップ」(KT=イ・ガンチョル)、「準備されたリーダーシップ」(SSG=キム・ウォンヒョン)と優勝チームの監督を賞賛するのに忙しい。しかし、昨年まで最近6年間チームに優勝トロフィーをプレゼントした指揮官の中で、来年も同じチームの指揮棒を握る指導者はKTのイ・ガンチョル監督(57)だけだ。

セイバーメトリクス(野球統計学)が発展し、野球に関するほとんどすべてのことを数字に変えることができる世の中になった。それでも監督がチームの成績にどれだけ影響を与えるかはまだ正確には分かっていない。これを明らかにしようとした研究の多くが、「ほとんどすべての監督が自分の能力または無能を明らかにする前に解任されるため、結論を出すことができない」という内容で終わる。だから、男として生まれたからには野球監督になろうというのは、球団のオーナーになってこそ言える話だ。