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汝矣島純福音教会の設立者、趙鏞基牧師が死去

汝矣島純福音教会の設立者、趙鏞基牧師が死去

Posted September. 15, 2021 08:19,   

Updated September. 15, 2021 08:19

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汝矣島(ヨイド)純福音教会の設立者であり、世界的な福音伝道者といわれてきた趙鏞基(チョ・ヨンギ)牧師が14日、85歳で死去した。汝矣島純福音教会(イ・ヨンフン担任牧師)によると、趙牧師は昨年7月、脳出血で倒れた後、ソウル鍾路区(趙ンノグ)のソウル大学病院に入院し、治療を受けてきた。

蔚山市蔚州郡(ウルサンシ・ウルジュグン)で生まれた故人は、高校2年の時に肺結核を患っていたところ、姉の友人からプロテスタント信仰に接した後、米五旬節教団である「神の聖会」所属の宣教師に会って神学校への入学を決心した。1958年、純福音神学校を卒業後、生涯の同役者であり義母の崔字實(チェ・ジャシル)伝道師とソウル恩平区大祚洞(ウンピョング・テジョドン)にテント教会を建て、牧会を始めた。テント教会は、現在の汝矣島純福音教会の前身だ。

韓国戦争後、経済的に厳しかった時期にイエスを信じれば霊魂救援だけでなく物質祝福と健康祝福まで受けるという「三重祝福論」は、異端論争の中でも大きな反響を呼んだ。汝矣島に教会の場所を移した後、信者数が1979年は10万人、1981年は20万人を越えた。1993年は信者数が70万人を超える世界最大の教会としてギネスブックに登録された。1988年に日刊紙「国民日報」を設立し、1989年には非政府組織(NGO)「善人たち」(現グッドピープル)を設立した。1992年から2008年まで「世界神の聖会」総裁を務め、アフリカ、アジア、南米など第3世界の宣教に集中した。1997年、ブラジル・サンパウロでは150万人が集まる集会を開催した。1975~2019年に71カ国で少なくとも370回の復興会を導いた。

北朝鮮の福音化にも関心を傾けた。平壌(ピョンヤン)で推進した「趙鏞基心臓専門病院」は2007年に着工し、骨組工事が終了したが、南北関係の変化で未完成のままだ。2008年、汝矣島純福音教会の元老牧師に推戴され、その後、趙容基慈善財団理事長を務めた。

韓国教会総連合(韓教総)は、同日発表した声明で、「趙鏞基牧師は、混沌と激変の20世紀後半期に福音で時代を導いた偉大な説教者であり、優れた霊性家として韓国教会と世界教会の復興を導いた」と哀悼した。

遺族として、2月に亡くなった金聖惠(キム・ソンヘ)元韓世(ハンセ)大学総長との間に、長男のヒジュン、次男の旻濟(ミンジェ、国民日報会長)、三男のスンジェ氏(韓世大学理事)がいる。葬儀は5日葬で行われ、葬儀委員長は韓教総共同代表会長の蘇康錫(ソ・ガンソク)、李哲(イ・チョル)、チャン・ジョンヒョン牧師が引き受けた。葬儀場は汝矣島純福音教会のベダニホールに設けられ、弔問は15日午前7時から行われる。葬式は18日午前8時、韓国教会葬で行われ、極東(ククドン)放送理事長の金章煥(キム・ジャンファン)牧師が説教を担当する。埋葬礼拝は同日午前10時、埋葬地の京畿道坡州市烏山里(キョンギド・パジュシ・オサンリ)の崔字實国際断食祈祷院の墓園で行われる。


金甲植 dunanworld@donga.com