1807年、ドイツはナポレオンに屈辱的な敗北を喫する。ナポレオンは後退するドイツ軍よりはやく前進し、一気にベルリンを占領した。ドイツ人にとってさらに侮辱的なことに、自身がフリードリヒ大帝の軍事的継承者であることを誇示する。
同年12月から14週間、毎日曜日の夕方にフランス軍占領下のベルリン学士院講堂で、40代後半の哲学者が情熱的な講演をした。彼は、ドイツの敗北の原因を分析し、誰かに責任を転嫁する魔女狩り式の慰安は語らなかった。必ず克服するという希望のメッセージを伝えることもなかった。最悪の状況で、彼は堂々と宣言する。「ドイツ人は世界を導き、世界の模範になることができる能力を持った民族だ」。
この哲学者がフィヒテであり、講演を集めた文が『ドイツ国民に告ぐ』だ。ドイツはこの時、プロイセン、ザクセン、バイエルンなどのいくつかの公国の連合体だった。衝撃的な敗北で、生贄を探してさらに深い分裂に陥る可能性があった。フィヒテはこのような危険を直感し、すべての悪は外国的なものから始まったと宣言する。「ドイツ人は、世の中で最も優秀な民族だ。この長所が外国の言語と文化に汚染された。その悪を取り除き、ドイツ国民の固有の本性を取り戻し、国家的団結を成し遂げれば、ドイツは偉大な国家に生まれ変わるだろう」。
このような主張が説得力を持つことができたのは、未来を先導するには創意的で情熱的な人材が必要で、そのような人材を作り出す教育がドイツの未来を決めると訴えたからだった。ただし、過度な国家主義と混ぜたため、ドイツに両刃の剣となってしまった。
フィヒテの文には、真実と扇動、洞察と詭弁が混ざっている。後代の知性は、時代の事情を理解する義務もある。同時に、目的と手段の乖離を取り除かなければならない責任もある。韓国社会は後者の義務を履行しているだろうか。さもなければ「時代」というカーテンの後ろに隠れて自身の合理化に没頭しているのだろうか。1杯の滋養剤に毒を1滴入れれば、その薬は毒薬になる。
歴史学者