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国宝11号の益山彌勒寺址石塔、20年にわたる補修終えて公開

国宝11号の益山彌勒寺址石塔、20年にわたる補修終えて公開

Posted May. 01, 2019 07:56,   

Updated May. 01, 2019 07:56

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現存する韓国国内最古であり、最大石塔である全羅北道益山市(チョンラブクド・イクサンシ)の彌勒寺址石塔(国宝第11号)が、20年にわたる補修工事をついに終えた。

文化財庁国立文化財研究所は、全羅北道、益山市と一緒に30日、彌勒寺址で石塔補修整備の完成式を行った。20年間の長い解体・修理の過程をすべて終えたことを、正式に宣言した。鄭在淑(チョン・ジェスク)文化財庁長は、「彌勒寺址石塔の修理は、20年間急いだり焦ったりしなかった」とし、「石塔補修・整備を通じて韓国石造文化財の保存技術は世界レベルに成長した」と語った。

新しく補修した彌勒寺址石塔は、1627個の部材(塔の材料)を組み立て生まれ変わった。高さ14.5メートル、幅12.5メートル、重さは約1830トンだ。薯童謠(ソドンヨ)の主人公である百済武王(ムワン、在位600~641年)の時に建てた彌勒寺址石塔は、まるで木塔のように石を積み上げた独特の造形美を誇る。3塔3金堂(仏を祀った建物)の伽藍配置でなされた彌勒寺の西側に位置するが、2009年の解体過程で寺院の建設時期が639年という事実を知らせる舍利奉迎器も発見された。

元々9層と推定される石塔は、時間が経つにつれ、6層のみ残り、西側の一部は崩壊した。これを日本帝国が1915年、コンクリートで緊急修理し、以後石塔は約80年間、コンクリートにからみ合った状態で耐えてきた。西側から見れば、コンクリートの塊のように見えた石塔は、1999年、文化財委員会が構造が不安定だという安全診断の結果を反映して、解体・修理を決定し、大役事に突入した。

彌勒寺址石塔は、国内単一文化財としては最も長い期間である20年間修復しながら、様々な研究成果を次々と出した。石塔と関連して集計された学術発表が18件であり、研究論文が14件、学位論文が5件、冊子9本が出た。復元関連特許登録も5件にのぼる。補修に参加した延べ人数は12万人だ。特に、今回の補修工事をきっかけに、推論による復元を止揚し、毀損した部材は科学的方法で補強して可能な限り再利用し、現代技術の適用を最小限に抑えるという文化財復元の新しい基準を確立した。


柳原模 onemore@donga.com