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柳寛順烈士に「ジャンヌ・ダルクの伝記」を読ませたメンター、史愛理施氏

柳寛順烈士に「ジャンヌ・ダルクの伝記」を読ませたメンター、史愛理施氏

Posted February. 25, 2019 07:44,   

Updated February. 25, 2019 07:44

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柳寛順(ユ・グァンスン)烈士を養女とし、近代教育を受けさせ、ジャンヌ・ダルクの気性を呼び覚ませた宣教師の史愛理施(本名アリス・シャープ、1871~1972)氏が、3・1運動100年を迎え、国内外でスポットライトを受けている。韓国と米国のプロテスタント団体は銅像を建設し、記念事業を推進する。史愛理施氏の伝記も出版を控えている。

カナダ出身の史愛理施氏は米国メソジスト教会韓国宣教連合会の所属で、1900年に韓国に来て宣教活動を行った。韓国で会って結婚した夫、ロバート・シャープ宣教師とともに、忠清南道公州(チュンチョンナムド・コンジュ)を宣教の拠点とし、忠清地域の宣教を担った。この過程で、公州ヨンミョン中・高等学校の前身であるミョンソル学校(ミョンソン女子学校)など20余りの教育機関を設立した。韓国初の女性牧師、チョン・ミルラさん、女性警察署長ノ・マリアさんを教え、公州地域の「近代女性教育の母」と呼ばれた。

史愛理施氏の最高の瞬間に、柳寛順烈士との出会いが挙げられる。史愛理施氏は、1910年を前後して、忠清南道天安市並川面(チョンアンシ・ピョンチョンミョン)のメボン教会(当時、チリョン教会)で8歳の柳氏に初めて会った。幼い柳氏の厚い信仰心と日曜学校で見せたリーダーシップに好感を持ったという。史愛理施氏は柳氏を養女とし、1914年に公州に連れてきて一緒に住み、1916年に自身が教師を務めたソウル梨花(イファ)学堂に校費生(学校の経費で勉強する学生)で編入させた。

近く発刊される『宣教師 史愛理施伝記』を書いたソウル瑞草(ソチョ)文化芸術会館のイム・ヨンチョル館長は、「柳氏は史愛理施氏を通じてキリスト教の書籍はもとより『ジャンヌ・ダルクの伝記』(『愛国婦人伝』チャン・ジヨン訳)に接した。史愛理施氏がいなかったなら、柳氏が存在したか問わなければならないほど」と話した。

史愛理施氏の業績は、東亜(トンア)日報にも記録されていた。本紙は1938年9月5日付で、「66歳の白髪に、朝鮮の婦人服を着て、感慨無量の退任式の踏査をした」と題する記事を掲載した。退任を控えた史愛理施氏の宣教記念碑の除幕式を扱った記事だった。1932年4月23日付には、史愛理施氏が宣教旅行をして、足を踏み外して負傷したというニュースを伝えた。

1939年に退任して米国に戻った史愛理施氏は、晩年をロサンゼルス宣教師養老院で過ごし、1972年に101歳で永眠した。遺品はトランジスターラジオ1つ。彼女の100歳の誕生日には、当時、ニクソン大統領とレーガン・カリフォルニア州知事が祝いの書簡を送った。史愛理施氏は、「韓国での39年間は非常に満足で楽しかった」と振り返った。

史愛理施氏を称える韓米両国のプロテスタント信者は最近、「アリス・シャープ宣教師記念事業会」を作り、寄付3億5000万ウォンを募り、「柳寛順烈士と史愛理施夫妻の銅像」と史愛理施氏の碑石などを制作した。銅像と碑石は来月1日、公州のヨンミョン高校で除幕される。ソ・マンチョル韓国宣教遺跡研究会長(前公州大学総長)は、「同日、米国の同胞49人が除幕式など記念行事に参加した後、史愛理施の宣教行路を訪れる」とし、「史愛理施氏の記念事業は今年だけではなく、継続して展開していく計画だ」と話した。


池明勳 mhjee@donga.com