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武王の王陵とみられる益山大王陵で百済古墳最長の墓道発見

武王の王陵とみられる益山大王陵で百済古墳最長の墓道発見

Posted December. 21, 2018 07:27,   

Updated December. 21, 2018 07:27

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有力な百済武王(ペクジェ・ムワン)の王陵とみられる全羅北道益山市(チョルラブクト・イクサンシ)の双陵(サンルン=史跡第87号)の大王陵で、百済王陵の中では最長の墓道が確認された。

益山市と円光(ウォングァン)大学・馬韓百済文化研究所は20日、今年5月から大王陵の2回目の発掘調査を行った結果、長さ21メートル、最大幅6メートル、最大深さ3メートル規模の墓道を発見したと明らかにした。墓の部屋である石室の方は幅4メートルで、内側に入って行くほど狭くなるのが特徴だ。チェ・ワンギュ所長は、「扶餘陵山里(プヨ・ヌンサンリ)古墳群の百済王陵級墓の墓道が4~6メートルほどであることに比べれば、大王陵の墓道は3~4倍以上も長い」とし、「壮大な儀式の葬儀が行われたことを裏付ける手がかりだ」と説明した。

また、古墳の築造過程で石室を先に作り、後で墓道を作ったことも確認された。大王陵の主人公が生前にあらかじめ準備していた壽陵である可能性が非常に高いという説明だ。

益山双陵は、「薯童謡」の主人公である武王と妻・善花(ソンファ)姫の墓として知られている。今年7月、国立扶餘文化財研究所が大王陵内部から発見された人骨を分析した結果、「60代前後の男性高齢者、身長は161~170.1センチ、死亡時期は620~659年と推定される」と発表した。チェ所長は、「最長の長さの墓道と壽陵が確認されたことで、考古学的に武王の墓である可能性がさらに高まっている」と明らかにした。


柳原模 onemore@donga.com