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災難報道に問題が多い

Posted April. 28, 2014 06:42,   

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生き残ったことが申し訳なくて耐え切れず、自殺で命を断った京畿道安山(キョンギド・アンサン)檀園(ダンウォン)高校の教頭が示したように、大きな犠牲を出した事故の生存者にとって生存は重荷であり刑罰ですらある。さらに「生存者」には、船から生きて救出された生徒だけでなく、死亡者、行方不明者の家族も含まれる。行方不明者が生きて戻ることを望み、冥福を祈る黄色いリボンに込められた多くのメッセージが「守ることができなくてすまない」だ。

「セウォル号」という少々不吉な名前の船の正体と韓国海運業界の実状を知っていたなら、どの親も子どもをそんな船に乗せなかっただろう。しかし、「海運マフィア」関係者以外の人は運航の絡み合った黒い内幕を推測することもできなかっただろう。生徒たちを「守る」術はなかったのだ。

人が被る災難のうち、天変地異より人災がより大きな傷と後遺症を残す。天変地異は「運命」だと諦められるが、人災は恨みと憎しみ、遺憾、後悔など複合的な感情の後遺症を長く残す。そのため、人災の犠牲者や生存者は格別なケアが必要だ。これは静かに行われなければならない。

ところで、今回の事故に関するメディアの報道は、生存者にとって実に残忍だった。メディアとしては国民的驚愕と悲しみを伝え、事実を迅速に報道する「使命」を感じただろうが、今回の事故で見せた一部メディアの報道態度は、韓国記者協会が制定した「災難報道規則」をほぼすべて違反した。災難報道の規則は、メディアを萎縮させ、メディアの役割を果たせなくするために制定されたものだろうか。過去の災難で過熱取材の弊害が多かったため、メディアが逆機能を抑え、任務を正しく遂行するよう設けられたのだ。

混乱した状況では、メディアはデマを除かなければならないが、総合編成チャネルMBNは18日、民間ダイバーを自称するホン・ガへ氏(26)が、「船内で生存者の信号を聞いて救助しようとしたが、海洋警察が妨害するためできずにいる」と主張するインタビューを放送し、行方不明者家族の心をかき乱し、国家に対する国民不信を助長した。JTBCは、セウォル号から救出された檀園高校の女子生徒に「友達が死んだことを知っているのか」と尋ね、生徒の心を深く傷つけた。最近では、20時間連続して救助活動ができる潜水鐘(ダイビング・ベル)の投入を海洋警察が妨害しているというイ・ジョンイン氏(アルファ潜水技術公社代表)の一方的な主張を放送し、またも国民の不満を煽った。このような時ほど、国民はメディアの操縦によって怒り嘆く操り人形となる。

近接撮影を自制し、刺激的な場面を報道せず、デマの拡散を防止しなければならず、検証されていない情報は報道せず、生存者と被害者の個人情報を流さず、彼らの心理的・精神的苦痛を減らすことに注意することを明示した災難報道規則は完全に無視された。多くの韓国メディアが安全規則を無視した船舶会社と大差ないと言うのは言いすぎだろうか。

子どもを亡くした親が悲しみと怒りを克服し、ほかの子どもたちのために、そして先に逝った子どもが安らかに眠るために、普通の暮らし、笑いがある暮らしを再び取り戻すよう、私たち皆が静かに声援を送らなければならない。そして、「生存者」となった生徒たちが自責の念にさいなまれず、各自自分の人生に花を咲かせ、先に逝った友人を追悼できるよう韓国社会が持続的に彼らをケアしなければならない。今回の事故の生存者は、誰かの死によって生存できたわけではない。今回の事故の原因である国民の安全不感症にメスを入れ、徹底的にえぐり出し、韓国の官僚社会と業界の絡まり合った不正・癒着関係を完全に断ち切り、死者に謝罪し、生きた者を助けなければならない。メディアがその番人になることを願って止まない。