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3・1運動犠牲者630人の身元を確認

Posted November. 20, 2013 03:27,   

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日本による植民地支配期の1919年3・1運動と1923年の関東大地震で日本軍警に殺害された朝鮮人の一部の身元が初めて確認された。国家記録院は今年6月、東京の駐日大使館の移転の際に発見された植民地期当時の被害者関連資料67冊を19日に公開した。

公開された資料は、3・1運動被害者630人の記録が記された名簿(1冊)と関東大地震被害者290人が記された名簿(1冊)、強制徴用(徴兵)被害者22万9781人の名簿(65冊)だ。1952年12月15日に開かれた第109回閣僚会議で、李承晩(イ・スンマン)大統領が指示し、内務部(現安全行政府)で全国的な調査を行ない作成した名簿だ。強制徴用被害者名簿は、政府が作成した関連名簿の中で最も古い。

3・1運動の場合、日本の統計では3ヵ月間で、死者7509人、負傷者1万5691人、逮捕者4万6948人が発生したと伝えられている。国内では、政府樹立後、これまで独自の調査を通じて、殉国者391人を独立有功者に認定している。今回発見された名簿には、邑面単位で名前や年齢、住所、殉国の経緯などが詳細に記録されており、今後有功者を追加選定する根拠になるものと予想される。

関東大地震の犠牲者は、当時臨時政府の調査を通じて6661人と伝えられた。名前もなく、虐殺場所と数字だけ記録されていた。しかし、今回公開された名簿には、名前、本籍、年齢、殺害経緯などが詳細に記されている。被徴用者名簿に収録された人数は、1957年に韓国政府が作成した「倭政時被徴用者名簿(28万5771人)」に比べて少ないが、以前になかった情報が含まれており、被害の有無を判定する際に活用が期待される。忠北大学史学科のパク・コルスン教授は、「3・1運動と関東大地震被殺者名簿は、学界にも知らされていなかった初の記録だ」とし、「学術研究だけでなく歴史の証明資料として歴史的価値が高い」と評価した。