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人の命まで脅かす反則運転「エンジンを切りましょう」

人の命まで脅かす反則運転「エンジンを切りましょう」

Posted January. 26, 2013 05:02,   

数年前、地方からの帰り道だった。ウィンカーをつけて、高速道路に進入しようとしていたところ、後ろから走ってきたダンプトラックがいきなりクラクションを鳴らしながら、脅威的に追い上げてきた。その瞬間戸惑ったが、無事に車線に進入した。ところが今度は、そのダンプトラックが追い越したかと思うと、いきなり急ブレーキをかけた。衝突する手前でなんとか事故を避けることができた。頭の中が真っ白になり、冷や汗をかいた。

運転をすれば、ほかの車の正常的車線変更すら我慢できないせっかちなドライバーを頻繁に目にする。ウィンカーをつけて入ろうとする車に譲歩すれば、プライドでも傷つくのか、がむしゃらに飛び掛ってくる運転習慣は、果たしてどこから来たものだろうか…。

1990年代前半、警察署の交通課長として働いたときの出来事だった。当時は、年間1万人以上が交通事故で死亡した時代であって、死亡事故の現場をたびたび目にした。その中で、家族全員が惨事にあった事故があったが、今も、もどかしさを感じている。あまりにもあっけなく、悲惨な姿に、「跡が絶えることが無いようにするためには、絶対家族全員が一緒に車に乗ってはならない」という同僚の言葉が、冗談とは聞こえなかった。

このような悲惨な事故の原因は結局、普段からの悪い運転習慣のためだ。信号さえ守っていれば、安全速度さえ守っていれば、安全距離さえ保っていれば、そして相手を少しだけ配慮さえしていれば、惨事から免れることができたはずなのに。事故当時、果たして何をそんなに急いでいたのか、何がそんなに我慢できなかったのか。

交通事故は悪い運転習慣から始まり、悲惨な不幸で終わる悲劇だ。悪い運転習慣は、死に至らせる病気と同じだ。我々は初めて、運転免許を取ったときの初心を忘れ、いつからか、適当にルールを違反しながら悪い習慣に馴染んできている。

最近、海外旅行に行ってきた方々は、歩行者を優先し、相手を思いやる外国の交通文化に深い感銘を受けたという。しかし、当の本人がいざ、ハンドルを握れば、なりふり構わぬ反則運転手へと様変わりする。「交通ルールを守れば、自分だけ損する」という歪んだ運転文化から始まった現象だと思う。警察が取締りをすれば、「なぜ、私だけを取り締まるのか」、「食いつないでいくにも大変な世の中なのに、たいしたことでもないのに取締りをする」と文句を言う苦情が多い。交通ルールは犯罪ではなく、たいしたことでもないという考え方がはびこっていることを裏付ける事例だ。

今回、東亜(トンア)日報の「エンジンを切りなさい!反則運転」シリーズは、蔓延する悪い運転習慣を変化させ、命を蘇らせる触媒剤となっている。警察は今年、政策方向性を、国民の安全確保にあわせ、代表的安全脅威行為である反則運転を撲滅するのに、積極的に乗り出す方針だ。

交通ルールを無視する行為は、命を軽んじるのと同様だ。警察はいやみを言われても、ルール違反を厳しく取り締まる計画だ。また、一定期間、「無事故、無違反誓約」を行い、実践したドライバーに対して、インセンティブを提供するなど、反則運転の撲滅に向けた国民参加運動へと拡大させていく計画だ。

韓国は、政府を挙げての交通事故死傷者を減らす取り組みなどのおかげで、交通事故の死亡者を世界で最も短期間で半分に減らした底力を持っている。国民が心を合わせれば、実現できないことなどない。クラクションの代わりに、手振りで挨拶する文化、相手を思いやる運転文化を作るのに、警察が先頭に立ちたいと思う。