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[オピニオン]朴槿恵出産絵

Posted November. 20, 2012 08:51,   

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1980年11月、ソウル仁寺洞(インサドン)で美術グループ「現実と発言」の創立展示会が開かれた。若い画家らが「社会と疎通する美術」を掲げて作品を披露した。1980年代、韓国美術の大きな流れを形成した民衆美術の出発点だった。民衆美術の画家らは、美術の社会参加を主張した。彼らは掛け絵など、大衆に入り込めるジャンルを探すことに積極的だった。画家の洪成潭(ホン・ソンダム、57)は、民衆美術分野で版画作家として名を知らせた。

◆洪成潭は、1980年5月光州(クァンジュ)民主化抗争当時、市民軍の文化宣伝隊として活動した。以後、光州抗争を描いた版画を集中的に制作した。同氏は、「光州抗争を外部に知らせる視覚媒体が殆どなかったため、版画作業に取り組んだ」とし、「あの時は作品ではなく、『(民主化)運動の道具』として考えていた」と後日打ち明けた。民主化デモによく登場した掛け絵は、数人の画家による集団創作である場合が多かった。洪成潭は、1989年、平壌(ピョンヤン)世界学生祝典に掛け絵「民族解放運動史」の写真を送ったことで拘束された。最高裁で利敵表現物制作罪が確定して2年間服役した。同氏は約70人の画家と共にこの絵を描いた。

◆民衆美術が衰退の途をたどり始めた1994年2月、国立現代(ヒョンデ)美術館は、「民衆美術15年展」を行った。民衆美術の作品を集めたイベントだった。当時、イム・ヨンバン国立現代美術館長は、「共産主義の色が強かったり、芸術性の落ちる作品は排除しようとした」と話した。しかし、展示作の中には芸術的価値とは程遠いものも少なくなった。文化界はこの展示会を最後に民衆美術の時代が幕を下ろしたとし、「民衆美術の葬式」と評した。

◆洪成潭は、1999年個人展の時、過去の荒いイメージから抜け出して芸術的に成熟した作品を披露した。「運動の道具」としての美術から脱皮したように見えた。しかし、朴槿恵(パク・グンヘ)セヌリ党大統領選候補が朴正煕(パク・ジョンヒ)元大統領に似た子を出産する様子を描いた絵を公開して議論を生んでいる。洪成潭は「朴槿恵出産説に着眼した絵」と言って、政治的意図を隠さなかった。おぞましい感じを与えるだけでなく、芸術性を認めるのも難しい。出産説は事実として確認されたこともないため、扇動に近い。彼をかばう人は「表現の自由」だと話しているが、彼自身と民衆美術が歩んできた軌跡を見てみると、大統領選を控えて自ら芸術家の魂を損ねたと言っても過言はなさそうだ。

洪賛植(ホン・チャンシク)首席論説委員 chansik@donga.com