Go to contents

[オピニオン]裁判所の権威

Posted October. 21, 2010 08:36,   

한국어

判事たちはとりわけ権威が好きだ。法服の権威、法廷の権威、裁判所の権威…。判事の正式職業名自体、憲法や裁判所組織法、刑事訴訟法には「法官」で統一されている。判事たちは、より権威的な響きのある「法官」に愛着を持っている。最高裁判官の名称にも似たような脈略の歴史がある。制憲憲法以来、5・16軍事クーデターが起きるまで「大法官」と呼ばれていたのが、軍事政権下の1962年の改憲で「大法院判事」に格下げした。この名称は、1987年の民主化以降、大法官に再び格上げされた。

◆英国の判事たちは、刑事裁判で中世以降の伝統的な白色のカツラを被る。時代錯誤的という批判の声もあるが、「個人ではなく裁判官」としての存在と、法廷の尊厳性を浮き彫りにするためだ。我々の判事たちが黒のネクタイと法服を着用して法廷に入るのも同じような脈略だ。青二才の判事よりは、ところどころに白髪が見える判事が裁判を主宰する姿が、ずっと頼もしく見えるのも事実だ。外見で権威を感じさせたいとする努力も、一定部分意味を持つ。

◆しかし、法服、法廷、裁判所の権威は、判事ではなく裁判を受ける人々のためのものだ。故金洪燮(キム・ホンソプ)判事の伝説的な身だしなみは、後輩判事たちには生きた教訓だ。金判事は、1961年に死刑判決を言い渡された被告に、「神様の目で見れば、私と被告のどっちが罪人なのか判別がつかない。私の能力が足りなくて皆さんを断罪しているのだから、理解してほしい」と述べ、人々の琴線に触れた。数日後、金判事はおコメ一斗ずつを持って、生計が困難な被告の家族を回った。人間が人間を新版することに常に恐れを忘れず、謙虚な姿勢を崩さなかった姿には、目に見えない権威が伝説のように付きまとう。

◆上辺の飾りよりも裁判の実質的な中身の方がより重要なのは言うまでもない。一部の若手判事たちの偏った判決も、司法の権威を落とす要因になる。判事たちの過った言動も、最高裁に対する国政監査の槍玉にされている。見下げた言い方や無視する態度は相変わらずで、証言を遮ったり陳述拒否権をきちんと知らせないで居眠りまでする事例が多いという法廷モニタリングの結果が公開された。若手判事が法廷で年配の当事者に砕けた言い方をして非難されたこともある。裁判所の権威は判事自ら作るものではなく、国民の心から自ずと沸いてくるべきものなのだ。

陸貞洙(ユック・ジョンス) sooya@donga.com