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鄭鎮奭枢機卿「経済が困難なほど、温かい一言が平和を作る」

鄭鎮奭枢機卿「経済が困難なほど、温かい一言が平和を作る」

Posted January. 09, 2009 07:27,   

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作家である申京淑(シン・キョンスク)氏(46)が、ソウルの明洞(ミョンドン)大聖堂の枢機卿執務室に入ると、鄭鎮奭(チョン・ジンソク)枢機卿は、明るく微笑んで出迎えた。申氏は、「枢機卿の司祭敍品式の時は、カトリック信者が1%もいませんでしたが、『神様、私が死ぬ前に信者が、10% になるようにしてください』と祈ったそうですね。私も今朝、『神様、枢機卿との出会いがうまくいきますように』と祈りました」と言葉をかけた。鄭枢機卿は、「申さん。ファンが多いそうですね。誉める人が多いです」と答えた。

——経済的に困難で苦しむ人々に、新年のお言葉をお願いします。

「地球上では、絶えず紛争が起きています。新年に入り、切実に平和を祈りました。家庭という小さな垣根で始まり、地球までつながる平和です」

——家庭の平和は、言葉のように簡単ではなさそうです。遠慮がなく、自分の味方と考えるせいか、冷たく接するケースが多いです。

「人は、幸せになるために生まれたんです。しかし、それは実に難しい。離婚の理由で最も多いのが、信義を守らないことで、2番目が経済的困難だといいます。元日に、聖堂の信者らに、家で悪口を言ってはならないと言いました。夫婦げんかをする時に子どもたちが悪口を学びます。『物』がないからといって、家庭で使う言葉が荒くなっては困ります。暮しが苦しくなればなるほど、慰めの言葉、美しい言葉が、家庭に平和を作ります」

——枢機卿は、若い頃に本を1日1冊読み、今も毎年本を1冊出版するという約束を守っています。時間管理は、どのようにしているのですか。

「韓国戦争時、死の峠を越えてからは、私の命は、私のものではないと思いました。その時、どれくらい生きられるか分からないけれど、残った時間を誠実に生きなければならないと思いました。癌の宣告を受けた人を近くで見守ったことがありましたが、残された時間が6ヵ月しかないという事実を知り、本当に変わりました。(その人は)世の中がすべて美しいと言いました。6ヵ月間、欠点の見当たらない完璧な人生を送り、身辺整理をしました。自分が受けた愛もすべて返し、世を去りました」

——死が時間の大切さを教えてくれたんですね。

「神は公平です。誰にも24時間を公平に下さるじゃないですか(笑)」

——就職難で夢を忘れてしまい、さ迷う20代の若者が多いです。

「人生の先輩として、残念です。しかし、自分だけのために生きようとすれば、もっと苦しくなります。多くの人と共有する夢を持てば、道が開かれ、良い希望を抱けば、必ず共感する人、協力する人が現われます」

——韓国カトリック教会は、20年余りの間、飛躍的に成長しましたが、その秘訣は何ですか。

「カトリック教会が上手かったからではなく、韓国国民の心性が外来宗教であるけれども、キリスト教を受け入れる広い雅量があったからだと思います。日本では、カトリックが伝播し400年が経ち、殉教者が数万人にのぼりますが、キリスト教とカトリック教の信者を合わせても、人口の1%にもなりません。その有り難い心に報いなければなりません」

——病床の金寿煥枢機卿の近況は。

「大分良くなりましたが、クリスマスの時に風邪をひきました。早く回復することを望みます。金寿煥枢機卿は、ソウル大教区長を30年も務めました。赴任の日は、本人が決めることはできませんが、退く日は選択なさいました。ある日、枢機卿に会ったんですが、『どの日がいいか』と尋ねられました。それで、『お考えのとおりにしてください』と言ったんです。30年間、金寿煥枢機卿は、弱者のことを考える象徴的な存在でした。韓国カトリック界が大きな借りとともに、徳を得ました」

鄭枢機卿が、昨年末に出版した『聖王ダビデ』を申氏にプレゼントすると、申氏も、自分の著作『お母ちゃんをお願い』を贈った。自然に会話の内容が母親になった。

——枢機卿の手記やインタビューで、お母さんの話を感慨深く読みました。「神は、あらゆる場所に存在できないため、母親を作った」という外国の格言を引用し、お母さんのことをおっしゃいました。枢機卿とお母さんの話は、多くの人々にとって、慰めになるでしょう。

「ほかの人からも聞ける話ですが、当然、母親がいなければ私がありえないですね(笑)。実際、今日の私がいるのは、母親の影響と恩徳です。後に親戚から聞いた話ですが、私が生まれた当時、ソウルには伝染病もあり、乳児の死亡率も高く、他人の子どもには母乳を与えない雰囲気だったそうです。しかし、『私のお母ちゃん』は、私が飲む母乳は決めておき、他人の赤ん坊にも与えました。韓国戦争と母親に込められた意味を、一生心に留めて生きてきました。これからの人生は、おまけで生きていくと思います」

——小説『お母ちゃんをお願い』を書いて、お母ちゃんという言葉をいくら呼んだか分かりません。初めのタイトルは、「お母さんをお願い」でしたが、ペンが進みませんでした。しかし、タイトルをお母さんからお母ちゃんに変えてみると、考えがわいてきました。お母ちゃんにどれだけ多くの借りをして生きているのか。枢機卿がさっき「お母ちゃん」と言ったので、少し驚きました。

「5才の時、お母さんに変えてから、ずっとそう呼んできました。私が司教の時、体の具合が悪くなった母親を介護したんですが、『お母ちゃん』と呼んだ時に、母の顔が明るくなったので、96年に亡くなるまで、お母ちゃんと呼び続けました」

——枢機卿として、一生志すことがありますか。

「これまで、皆さんに受けた愛の借りを負っています。この借りを一生懸命に返して、この世を去ろうと思います。周囲の人々の支えがなければ、どうやって生きていけるでしょう」



dunanworld@donga.com