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李承鎏の母親喪…原監督も日本で弔問

Posted January. 08, 2007 03:12,   

「お母さんが最後のプレゼントを下さったようだ」

李承鎏(イ・スンヨプ、31、読売)の母親、故・金ミジャさん(56)の通夜が開かれた7日の大邱(テグ)パティマ病院。訃告を聞いてソウルから下りてきた金ソングンSK監督は、李承鎏を暖かく慰めた。李承鎏は首をたれるばかりだった。

李承鎏の母親である故・金さんは5年前に脳腫瘍判定を受け、闘病生活をしてきたが、6日未明、余病による心臓まひで世を去った。

もし、シーズン中だったら、李承鎏は母親の死による衝撃を乗り越えるのがたいへん難しかったはずだ。だが、「不幸中の幸い」で、李承鎏は母親の最後をそばで見守ることができた。

1月6日はあいにく李承鎏の結婚5周年記念日。李承鎏は前日、午前のトレーニングを終え、記念写真を撮影するため、夫人の李ソンジョンさんと一緒に上京した。そして、その日の夕方、急に母親の病勢が悪いということを聞いて、急いで大邱に下りてきて臨終に立ち会った。

李承鎏は、「苦労ばかりして贅沢もできずに亡くなったのがとても悔しい」と話した。

故・金さんは02年1月、脳腫瘍判定を受け、闘病生活を始めた。それで、李承鎏の三星(サムスン)時代の初優勝(02年)、アジア本塁打王登極(03年)、日本プロ野球進出(04年)、李承鎏の子息ウンヒョクくんが生まれたこと(05年)、読売で不動の4番打者に決まったこと(06年)などを全然認識できなかった。

李承鎏は日本へ行ってから、本塁打を放った日には決まって受話器越しに返事のない母親に向け、「母さん、今日、本塁打を打ちました」と報告し、涙を流した。

故・金さんはたまに意識を取り戻しても、二つの単語を言うのみだったと言う。それは、「承鎏」と「本塁打」だった。

金監督のほかに宣銅烈(ソン・ドンリョル)三星監督、白仁天(ペク・インチョン)前ロッテ監督、ヤン・ジュンヒョク(三星)、朴明桓(パク・ミョンファン、LG)など多くの野球関係者と読売広報職員などが弔問に来た。読売の原辰徳監督と清武英利球団代表、日本ロッテの職員たちも花輪を送り弔意を表した。



uni@donga.com