欧州の昔の都市は都心の真ん中に大型の聖堂があり、その前には間違いなく広場がある。聖堂が「神さまのための空間」なら、広場は「人間の空間」だった。ミサを終えた後、人々は自然に広場に出て三々五々集まって話に花を咲かせた。世の中のことについて多様な意見と討論が行き交った。西欧の民主主義が広場で芽生えたという分析は説得力がある。18世紀末にヴェネチアを征腹したナポレオンはもう観光名所になったサンマルコ広場を「世界で最も美しいリビングルーム」と讃えた。
◆広場を通じて民意が集まる、いわゆる「広場文化」が韓国では定着することが難しかった。「広間(サランバン)文化」があったが、考え方が似た少数の人が集まる閉鎖的な構造だった。私たちが討論文化に不慣れであるのもそれなりの理由がある。しかし「討論の場所」として広場の役割は縮小されている。疎通の中心がコンピューターに移ったからだ。代わりに各国の有名な広場は祭りと休憩のための場に変わった。高層ビルの中に開けた緑の広場は眺めるだけで都市生活の緊張を和らげる。
◆ソウルも広場らしい広場を持つようになった。光化門(クァンファムン)と世宗路(セジョンノ)の十字路の間に造成される「光化門広場」の設計が確定された。車路を大幅に減らして道路の中央に幅27m、長さ500mの広場を作ることにした。ソウル広場、崇礼門(スンネムン)広場と直結するので、市民たちは光化門から崇礼門まで楽に歩いていくことができる。ソウルを代表する通りの主人が自動車から歩行者に変わることは大きな変化だ。
◆広場とは分かりやすく言えば「開かれた空間」を意味する。自由な意見交換と人間的交流のために作った所だ。誕生から容易でなかったソウルの都心広場は恥ずかしくも暴力デモと対立の現場によく変質された。光化門広場まで完成されれば誰よりデモ師たちが欲すのではないか心配される。世界に誇る広場を作る前に民主的かつ合法的な意思表現の枠組みから強固にしておかなければならないようだ。光化門広場の登場が韓国の「広場文化」を形成していくスタート点になったらと思う。
洪贊植(ホン・チャンシク)論説委員 chansik@donga.com






