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「オピニオン」告別講演

Posted December. 19, 2002 11:30,   

「最後」または「お別れ」という言葉は、物寂しさとともに名残惜しい感じがする。「最後の一枚の葉」「最後の授業」「最後の約束」のように「最後」という形容詞の入った題名の映画、小説、大衆歌謡として悲しくないものはない。ひとつの時代を代表していた大学教授の告別講演は、スポーツスターや芸能界スターのサヨナラ舞台ほど華やかではないものの、学問的業績やその足取りと関連づけて考えるとき、感懐を呼び起こすものがある。ソウル大の白楽晴(べク・ナクチョン、英文学)、鄭鎭弘(チョン・ジンホン、宗教学)、愼饁廈(シン・ヨンハ、社会学)、金晋均(キム・ジンギュン、社会学)、高麗大の金禹昌(キム・ウチャン、英文学)、延世大の金仁會(キム・インフェ、教育学)許甲範(ホ・ガッポム、医大)教授らが、今学期を最後に教壇を去ることになる。

◆来年2月に退任する教授の多くが日本による植民地支配下に生まれ、朝鮮戦争後の混乱期に大学に入学、4.19(革命、1960年4月に起きた国民レベルの民主化運動)と5.16(軍事クーデター、1961年の同クーデターにより朴正熙政権が登場する)を、キャンパスの中で経験した。鄭鎭弘教授は「卒業直後に4.19を迎え、軍隊に入隊して、にわかに5.16革命軍の一員になっていた」と語る。愼饁廈教授は「民族文化を再発見し、韓国の社会学を見直す問題意識を持ち始めたのは、4.19がきっかけだった」と語る。白楽晴、金晋均教授など4.19世代の教授らは、維新時代(72〜79)と80年の新軍部政後、一時学校から追い出され、街の知識人として転々した時期もあった。

◆4.19世代だからといって、考え方や路線が必ずしも一致していたわけではない。今年の1学期に行われた、保守性向をもつ教授の告別講演では、学生たちが「手先の役に忠実だったあなたは行きなさい」と、非難めいた言葉が書かれたプラカードを掲げてデモを行うなどして、問題となったことがある。政治的路線が違うという理由で、生涯を大学の教壇に捧げた師匠の告別講演の場で騒ぎを起こしたのは、事の是非を問うより、醜い一面を垣間見たような気がする。存在の多様性、思考と意見の多様性を尊重することこそ、私たちが目指す民主主義の価値なのである。

◆韓国の教授は、戸籍上の年齢が65歳になると、自動的に学校を離れなければならないが、肉体と精神の健康は、個人によって大きく異なる。70代になっても若者に劣らない体力と記憶力をもつお年寄りがいる一方で、戸籍上の定年になる前から気力が著しく劣ってくる知識労働者もいる。欧米の大学で、法律で定年を制限するのは、年齢差別(Age Discrimination)とみなされる。肉体と精神が、研究と講義に耐えられないくらいになると自ら教壇を去るために、70代の教授はありふれている。告別講演を終えた教授が今学期をもって教壇を離れることになっても、健康が許す限り、社会に向けて知性の声を出し続けてくれることを期待したい。

黄鎬澤(ファン・ホテク)論説委員 hthwang@donga.com