朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の「人民英雄」ケ・スンヒ(22)が敗れた。
2日、釜山(プサン)アジア大会の柔道の3日目の試合が行われた亀徳(クドク)体育館前の入場券売場には、午前中に早くも「完売」案内が貼り出された。売り切れたことを知らずに体育館に足を運んだ市民たちは、立席の入場券でも購入しようとして長い列がつくられた。
何がこんなにも人々を呼びつけたのだろうか。この日、女子52kg級で戦う北朝鮮の柔道英雄、ケ・スンヒだ。
ケ・スンヒは、名声に相応しく1回戦でモンゴル選手を背負投げ、外掛け、小内刈りで連続的に3つの有効をもらい、試合終了2分余りを残して鮮やかな内股を成功させて一本勝ちした。
しかし、ケ・スンヒは、2回戦で思いがけない相手を迎えて油断した。昨年、北京ユニバーシアード大会優勝が国際大会経歴の全部の中国選手、シアントンメイの知能的な遅延作戦に巻き込まれ、序盤で勝負をかけられないまま引きずられた挙句敗れた。
まともにつかまれては勝算がないと判断したのか、中国選手は序盤からケ・スンヒの接近を振り切って焦りを誘発しては、試合終了2分余りを残して奇襲的な背負投げを試みた。技は半分くらい入り、香港出身の主審はすぐに効果を宣言した。幸いなことに韓国とイラン人副審が無効を宣言し、ポイントを許す程度で収まったが、ケ・スンヒが心理的に追われ始めたの当然のこと。その後、ケ・スンヒは、上半身よりは下半身を積極的に攻め上げた。
しかし中国選手は、力でも「天下の力士」ケ・スンヒと対等だった。ケ・スンヒは、終了39秒を残して、肩を使った技を試みたが主審に「止め」を宣言され、結局、運命を判定に任せるしかなかった。結果は、主審とイラン人副審が中国選手の背負投げを唯一のポイントと認め、1—2の判定敗けとなった。
16歳で出場した96アトランタオリンピック(48kg級)で優勝した後、体級を52kg級に変更して出場した2001世界選手権を制覇し「人民英雄」の称号を与えられた柔道英雄が無念に崩れる瞬間だった。
はにかむような微笑が漂い、誰にも親切な態度を示して今大会で最高の人気スターに浮上し、「ケ・スンヒシンドローム」と呼ばれるほど韓国ファンに深い印象を残したケ・スンヒ。それがために思いがけない敗北は衝撃的なほどだった。
金尙浩 hyangsan@donga.com






