故崔鐘吉(チェ・ジョンギル)教授の他殺疑惑、スージー・キム殺害事件やその後に行われた国家権力機関の組織的な隠ぺい、ねつ造の真相が次第にその全貌を現しつつある。衝撃と激憤が交差する中、私たちは国家権力による反人権的な犯罪をどのように清算すべきかについて頭を悩まさなければならなくなった。
1987年、香港で起きた単純な殺人事件がこのように長い間、対共産主義(国家保安法違反)事件として隠ぺい・ねつ造されたのは、当時の国家安全企画部(国家情報院の前身)と、外務部の一部の核心勢力らの道外れた政権安保観と不道徳性にその原因があった。昨年、マスコミによって同事件への疑惑が提起されたことで警察が捜査を行ったが、途中で国情院の幹部と警察庁長の共謀によって中止された。巨大な国家権力のひ護を受けたスージー・キム事件は、何度かのう余曲折の末に、15年経った今になって事件の実体に迫ることができた。金承一(キム・スンイル)元国情院幹部と李茂永(イ・ムヨン)元警察庁長は同事件ですでに拘束起訴されている。
だが、スージー・キム事件の隠ぺい・ねつ造を主導したことが明らかになった張世東(チャン・セドン)元安企部長は、犯人逃避や職務遺棄の公訴時効である7年をはるかに超えているため、自分の罪を償わなくてもよくなった。スパイの家族という汚名を着せられ、15年間厳しい人生を送ってきた遺族らにとってこれほど無念なことはないだろう。そのため、遺族らは張世東元安企部長に対する処罰を促す署名運動に乗り出すことにしたという。「年月が経っても許せない」犯罪があるが、権力機関が介入したこういった種類の隠ぺい犯罪がまさにその一例だというのだ。民主党の咸承熙(ハム・スンヒ)議員は、こうした反人倫・反社会的な犯罪に対する「公訴時効排除特別法案」を作るために国会議員の署名集めの準備中だという。
政権は変わっても過去の権力の不法は残される。この過去の不法を清算しなければ、法と秩序を新しく立てることはできない。こうした意味で、歴史の中に埋もれた過去の権力による犯罪の実体を明らかにし、人権と「正しい法」を立てることは、今を住む私たちだけでなく、未来の共同体のためにも重要な課題だ。
問題は歳月は早く行き過ぎるのに、真相究明はこっちの思うとおりに早く進まないということにある。時間が経つほど過去の不法は、地中にどんどん埋もれて行き、隠ぺいされた土の上で共同体の暮らしがにぎやかになっていくということだ。土に埋もれた真実を探し出すために、土の上に建てられた高層ビルを解体するのはそう簡単なことではない。だから、法秩序は早くから「法的安全性」という理念をかかげて公訴時効制度を設け、実際に15年が過ぎれば死刑に値する犯罪でも訴追できないようにしている。残念なことだが、正常な社会は公訴時効の期待利益は、捜査の網をくぐって逃走した犯罪者らに帰するのが常である。
要は法感情を激憤させる極度の権力的な不法について、法的な安全性を口実に公訴時効の保護膜を果たして認めるべきなのか、法的安全性と感情間の矛盾が激しいにもかかわらず、権力的な不法を通じて体系的に人権をじゅうりんした犯罪者らの期待利益と信頼を保護していいものなのか、耐えられないほどの不正義の結果をいかに避けることができるか、ということだ。
かつてこうした矛盾に直面したドイツでは、ナチ政権の過去清算の初めに、亡命から戻ってきた法哲学者グスタフ・ラートブルフの「実定法の正義に対する違反が耐えられない水準に及んだ時は、この不正義な内容の法律は正義にその位置を譲らなければならない」という公式で、突破口を開いた。1990年代のドイツ統一以後、旧東独の国家犯罪に対する過去の清算でも、この公式は判例によって活力を取り戻した。公訴時効のために、極端な不正義をもたらす例外的な反人権犯罪については、たとえ公訴時効が満了したとしても、法律で公訴時効を排除したり、新たな停止事由を付け加えることは可能だ。さらに、フランスの判例では、「時効は有効に訴追できない者には該当しない」という原則を通じて、法律の明文有無とは関係なしに、事実上解釈上の障害事由まで停止事由として広く認めている。
わい曲された事実を土に埋めて、悔しい思いでつくため息が鳴り響くところには、共同体の幸せと繁栄を期待することはできない。権力による重大な人権侵害の犯罪を清算するためにも無念な死を遂げた者たちの話に耳を傾けなければならない時だ。
金日秀(キム・イルス)高麗(コリョ)大学法学教授






