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[オピニオン]与党の若い走者、本当に主張どおりの刷新なのか

[オピニオン]与党の若い走者、本当に主張どおりの刷新なのか

Posted December. 14, 2001 09:17,   

新しいものに対する渇望が大きくなっている。とくに、政治の部門では刷新という用語が重要な話題にのぼるほどだ。政党や政治構造の刷新に向けて、何度か方法が模索されたりした。こうした中、与党のある若い国会議員は、来年の大統領選挙は政党に対する選択が重要なのではなく、どんな世代を新たなリーダーとして選択するかが重要なのだと語った。こう述べたことで、彼は党内の大統領選挙候補の一人として自ら位置づけすることで、新しさに対する彼なりの解釈をしたとみることができる。

果たして、国民が望む新しさは何なのか。それは国の発展を妨げている古い政治形態を克服する政治だ。口先だけの新しさではなく、新たな考え方、新たな行動様式だ。最近、与党の代表は、ハンナラ党が与党の刷新ぶりに戸惑いを感じて、公的資金問題など過去の政権の際の間違いを隠すために「与党」を攻撃していると発言した。ひと言でいえば、こうした発言は新たな政党に変身したと自ら主張し、改革の正道を歩むという政党の代表としては不適切な発言だと言える。

本当に新しく生まれ変わろうとすれば、現実を直視しなければならない。反省すべきことは反省し、率直に告白すべきことは告白しなければならない。正しく分析し、厳正にことに当たらなければならない。なぜ、公的資金が問題にされているのか。企業と金融の不良化を克服し、構造調整を遂行するために切り捨てなければならない部分を問題視した者はいない。構造調整を促進することに使われたのか、でなければ、放漫に使われてむしろ構造調整を遅らせる結果をもたらしたのではないかという議論がまず、考えられる。これに、政治的に問題にされているのは、公的資金の使用が公正だったのか、大衆に迎合する政治のために大事な資金が放漫に運用されたのではないか、という部分だ。こうした疑問を過去の政権のせいだと押し付けるとなれば、格好だけ新しくなっているだけで、決して内容まで新しくなったわけではない。

本来、97年の通貨危機に対する原因分析からしてそうである。それは韓国が産業化を推進してからの経済政策、企業の管理形態、金融産業の競争力など韓国の経済構造を総合的に点検することで、新たな改革の道を模索できる絶好のチャンスだった。それが大量失業、企業の大量倒産という不幸な事態の中でも、未来を期待できる希望だった。こんな惜しい機会を前政権に対する攻撃と外貨保有高という断片的な指標だけで、政権広報に使い込んでしまった。通貨危機を通じて心から反省していたならば、韓国社会はさらにガラス張りなものに、ひいては政争のだしに使われないで未来志向的なものになったことだろう。何々ゲートだとか、何々ロビー事件だとか言って明け暮れる日も少なかったことだろう。

もはや実質的に政権の任期が終わる来年の大統領選挙まで、わずか1年ばかりとなっている。現政権と与党がすべきことは易地思之(相手の立場になってものを考えること)の気持ちでものを考えることだ。次期政権もすべての間違いを前政権に転嫁はしないか、考える時である。次期政権こそ真の改革政権となれるよう、整理する気持ちで改革の基盤作りに力をそそぐべきだ。韓国社会はいま、大々的な改革を必要としている。口先だけの改革ではなく、真の改革が切に求められているのだ。そのためには、身から変わらなければならない。新たな考え方をし、新たなビジョンを持って、新たに行動しなければならない。既成政治の古いアカを脱ぎ捨てて、分け前の分配を求めて利権を争う大量の脂肪を削ぎ落とさなければならない。

これまで何度か世代交代論が提起された。それが成功できなかった理由は、実際の年の若さを除いて、新しさに対する期待を満たすことができなかったからだ。与党の新進政治家が新たに提起した若い政治論が果たして、既存の世代交代論を踏襲したものなのか、でなければ既成政治の実質的な克服に結びつくものなのかは、これからも見守っていかなければならない。

真の政治刷新を成し遂げようとするならば、不信と冷笑主義を増幅させた自党の政治形態から進んで反省する態度を持たなければならない。そしてことばではなく、行動で未来志向的でありながらも生産的な政治を見せなければならない。国民の新しさに対する欲求がいつどの時よりも切実ないま、真のビジョンを提示し、実行することでこの期待に応えることができるようにしなければならない。

李ガク範(イ・ガクボム、韓国情報通信大学情報社会学教授)