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特派員の平壌紀行

Posted October. 26, 2000 14:23,   

22日(日曜日)の午後6時。韓国・アメリカ・日本の記者団で構成された40人余りの報道陣がピョンヤン(平壌)のスンアン(順安)空港で入国審査を終え、市内へ移動した頃には既に暗くなりつつあった。

真っ暗やみに近い道路を10分くらい車で走しると、急にまぶしい明かりが目の前に現れた。金日成主席の死体が安置されているクンスサン記念宮殿であった。金首席の大型肖像画を目にして、ようやく北朝鮮の土を踏んだと実感した。

23日(月曜日)の夜明け。オールブライト長官の到着を待っていた中、突然空港の電気が消えてしまった。数分後電気は正常に戻ったが、国家基幹施設である空港で「国賓」の出迎え行事を準備している途中停電事態が発生したことを目の当たりにし、北朝鮮の難しい電力事情を実感することができた。

取材を終えてピョンヤン市内に戻った時には出勤時間であった。人通りの少ない車道で軍人をのせたトラックの行列を目にした。幼く見える軍人達は取材車両を好奇心ありげに見ていると思ったら、意外にも手を振って挨拶をしてくれた。明るく微笑む彼らの純朴な顔からは「民族の敵、米帝国」に対する敵愾心などは全然見受けられなかった。

記者は1998年11月、クンガンサン観光が始められた時、軍事施設のヘグンカン地域を訪れた韓国からの初めての観光客を睨んでいた北朝鮮軍の鋭い目つきを目に浮かんだ。ようやく北朝鮮軍も変わってきたのか。

この日の夜、金正日総書記とオールブライト長官が参観する中、5・1競技場で開かれた労働党創党55周年を記念するマスゲームは強烈な印象を残した。

取材陣が案内された場所は金総書記などの席のある貴賓席。静寂と緊張が漂っていた競技場は、金総書記の入場を知らせる歓迎音楽が流されると共に、熱狂に包まれてしまった。公演を準備していた人も観客も感激した表情で足踏みをしながら万歳を続けた。記者を案内していた北朝鮮側の案内員も熱烈な拍手と共に声高く万歳を叫んだ。

続いて行なわれた1時間10分間のマスゲームは、例えようのないほど勇壮なスケールと少しの隙も許さない精密さの極地であった。数万人の学生と軍人が渾然一体となって、まるで精巧な機械のように一紙乱れずに動いた。

しかしそこからも「人の息吹」は感じ取られた。マンションの窓辺には綺麗に手入れした植木鉢がが置いてあり、道路には所々ビアホールや居酒屋なども目についた。記者の接した制限された範囲内での北朝鮮の住民は非常に純朴で親切だった。

通訳を担当したある女性案内員(25才)は「北朝鮮にも南男北女(南の方へ行くほど男がハンサムで、北の方へ行くほど女が綺麗だ)という言葉があります。統一して南の男の人と結婚できればと思っていますがどうなるでしょうか」と照れた顔で話した。

最近の南北交流の影響で、ピョンヤンでは韓国人と韓国製品は既に見慣れた存在になっていた。高麗ホテルの2階にあるカフェには韓国製のテレビが置いてあり、取材陣を案内したある案内員も韓国製のカムコーダーを持ち歩いた。同ホテルのレストランでは食事をしていたサムスンの職員達が取材陣の目を引いたりもした。

ある案内員は金大中大統領のノーベル平和賞受賞について「北朝鮮ではノーベル賞はあまり知られていないが、受賞のニュースは聞いている。北南間で和解と協力のために努力した功労で受賞したと聞いたが、それは見た目もよくて、めでたいことだと思われる」と話した。

あるアメリカの記者は取材を終えピョンヤンを立つ前に「ツバメ一羽が訪れたからといってすぐ夏になるわけではない」と話すなど米朝関係の急速な進展に慎重を期するべきだと強調した。記者は彼に韓国には「始まりが半分(何事も始める事が重要だという意味)」という諺があると言い返した。