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ソウルASEMの意味と展望

Posted October. 12, 2000 16:01,   

第1次アジア欧州連合首脳会議(ASEM、96年3月1〜2日、タイ・バンコク)の開催を目前に控えた96年の初め、当時のユン・ビョンセ(尹炳世・47)在シンガポール公使参事官は、日ごろ親しくしているシンガポールの高官から、耳寄りな話を聞いた。

「98年の2次会議はイギリスでの開催が決まった。2000年の3次会議はアジア国家で行う番だが・・・」

ユン参事官は、その官僚の言葉に潜んでいる意味にすぐ気が付き、その道で本部へ報告したのである。

「ASEMの定例化は、会員国の皆が望んでいる事だ。3次会議の開催国をいつ決めるというような原則はない。私たちが提案しても反対する国はないはず。新千年のASEMはソウルで開催しよう」。

政府は、直ちに極秘で3次会議の誘致を始めた。日本や中国などが後で気づき誘致を始めたが、すでに韓国に有利な状態だった。ユン参事官は、その功労で、その年外交省から「政策建議1等賞」を受賞した。

欧州連合(EU)の15カ国とアジアの10カ国など25カ国の首脳とEU中央委員会の委員長が参加する中、20、21日ソウルで開かれる第3次ASEMにはこのようにドラマチックな裏話があったのだ。一体、ASEMが何故・・・。

▼ASEMの発足

94年10月、シンガポールの呉作棟総理は、フランス訪問中、シラク大統領に「ASEM」を提案した。外交官らは、「‘多角外交の達人’である呉作棟総理が、改めて国際的感覚を発揮した事件だった」と回顧している。当時、東アジアは欧州を、欧州は東アジアを必要としている絶妙な時期だったからだ。アジアの「ドラゴン」たちは、急成長の中、新たな市場が必要であり、欧州もアジアをアメリカの独り舞台にさせるわけには行かなかったのである。

ASEMが、アメリカを中心としているアジア太平洋経済協力体(APEC)とは違って、経済や財務協力以外にも政治懇談や社会文化交流を担う包括的協力体として発足した理由は、「意外かもしれないが簡単な事だ」と政府の関係者は話している。EUは、すでにかなりの部分で経済的統合を成し遂げたため、経済・財務分野での個別国家の役割は非常に限られている事から、サミットでの議題の範囲は広まるはずだと言う。

▼1、2次会議

1次のバンコク会議では、一時帝国主義国家と植民支配国家の関係で銃を向き合っていた欧州と東アジアが、過去の事は歴史のかなたに葬って、共に「パートナー」の関係を結ぶための「お見合い」の場であった。98年の2次ロンドン会議は、「アジアの金融危機を助けた」と言われるほどであった。果たして、ASEMはアジア-欧州間の実質的な協力体になり得るだろうかという懐疑論が支配的だった時点において、外貨危機はその協力の必要性を裏付けたのである。

金大中大統領は、金融危機の克服案として「高位企業家の投資促進団派遣」を緊急提案し、加盟国から大きな支持を得た。EUは、「アジアの金融および経済状況に対する別の議長声明」を通じて、アジアへの支援を約束した。外国為替危機に成す術がなかったAPECと比べられながら、ASEMは徐々に地歩を固めて来たのである。

▼ソウルASEMの課題

外交部のオ・ジュン(呉俊)ASEM担当審議官は、「発足5年目を迎えてソウルで開かれるASEMは、アジアと欧州間の協力の方向と枠を具体的に提示せねばならないという課題を抱えている」と話した。少なくとも韓国国民の口から、「一体ASEMが何様なので政府がこんなに騒ぎ立てているのだ」という不満の声が上がってはいけないと言う事だ。

議長国になる政府が、今回ASEMに提案した新規事業にはこのような悩みが感じられる。政府は、ユーラシア超高速情報通信網を構築し、両地域間のインターネットサービスを円滑にし、関連産業の発展を図ろうとしている。また、フランスと共同で提案した奨学事業は、2500万ドル規模の奨学基金を助成し、毎年欧州とアジアの教授、教師、学生をそれぞれ500人ずつ交換する方針だ。このほかにも、ASEMの今後10年間の発展方向と重点協力分野を決めた基本文書である「アジア-欧州協力体制2000」が採択され、「朝鮮半島和平に関するソウル宣言」を通して、「南北共同宣言」履行に対するASEMレベルでの支持がある見込みだ。



夫亨權(ブ・ヒョンゴン)記者 bookum90@donga.com